リーダー

 晴れ、今日は暖かい。気温はプラス2度なのだが、風が無いせいだろう。更に昨日の雨で、色々な空中に浮かんだ悪いものを洗い流してくれた感じがする。

 4月目前で、色々な事が解決していない。自分自身の事でもあるし、これから先起こるであろうと予想されることに対しての防御本能のようなものが、心をイラつかせ落ち込ませる。

 

 話は変わるが、最近行くセミナーは、リーダーシップ関係のものが多い。

 リーダーは、先達であり舵取り役であり指導者である。この多くの役割を普通にこなせる人はそう多くは無い。

 例えば先頭に立てない人間なのに無理やり先頭に立たざる負えないが故に失敗してしまう人や、そもそも人を上手く使えない人というのがリーダー役をやらされること程、リーダーになった人、リーダーの下にいる人にとって不幸なことは無い。

 何故なら、リーダーは人にものを上手く頼めないため、重要な事は自分でやろうとする。だから充分その役割を果たせず中途半端に物事を進めることが多い。更にリーダーの指示を待ちながら行動を決めようとする人たちは、その指示が無いため動けない動かないか、見切り発車してしまい、あろうことか指示を出さなかったリーダーに叱責される。いわゆる「勝手に何やってんだ」というお決まりのことが起きてしまう。

 それが続けば、当然指示待ち人間が多くなるのは当然で、それが嫌なら別なところへ逃げ出すしかない。そうして組織は弱体化してしまう。

 まあ、そういったリーダーの基礎的な資質を持たない人を辞めさせるのは、日本の社会に於いて至難の業である。上に書いたように組織が弱体化し、どうにもならなくなればリーダーも辞めざる負えないし、或いは、病気などで身を引いてもらうか、スキャンダルなどで追い落とすかという、あくまでの負の関係でしかそれを変えることができない。

 リーダーの方もそれなりに悩むことは多いのだろう。それは心中を察することができるが、彼の悩みは、その地位にしがみつくことと同義語だという事を知りながらも無視するところにある。それを知ってか知らずか、こうすればこうなるという理想の行動を描きながらその行動が出来ない人が多い。

 リーダーでない人は、リーダーが一声掛ければその集団は右向け右と方向を変えるはずと思いがちだが、そうではない。掛け声を掛けるにしても、その掛け声が常に正しいのだという事を下の者に日頃からパブロフの犬のように条件付けしておかなければ、簡単にそろうことは無い。その普段の条件付けはやはり信頼をどう得るかに掛かっている。

 黙っていても信頼を得ることは難しい。その信頼は、埃のように軽く、何か一度風が吹けば飛び去ってしまうようなものだからである。しかし、その埃のような信頼も何年も積み重なってしまえば、ちょっとやそこらの風が吹いても飛び散ることは無くなる。

 信頼は、地道な行動の積み重ねからしか生まれないし、一度、その信頼を受ければ、その信頼された人が勝手に神話を作り上げてくれるものである。

 その積み重ねをどの程度短期間でできるかがリーダーの役割だと思う。こういった方法は、まさしく宗教団体と同じ手口と言って良い。

 自分たちの宗祖がどれだけ素晴らしいか、熱心な信者が多いほど、勝手に触れ回ってくれる。そういった下地がある人が多く居ればいる程、そこに行くと言葉が勝手に相手に伝わるようになる。それはあらかじめ凄いことを言う人だと脚色されているからである。

 纏めると、立派なリーダーの資質を持つ人はそう多くは無いがいる。ではそれ以外の普通の可もなく不可もなくの人がいてそしてこの人がという人がリーダーになっている組織もあるわけである。

 自分がそういった役割を担えない、或いはその役割を与えられないというのは、やはりその人にリーダーの資質が無いという事なのである。