エイプリルフール

 晴れ、気温3度。

 今日はエイプリルフールであるのだが、最近は、嘘が嘘に聞こえない、真実が真実らしくないというか、信頼関係が薄れているような気がする。

 例えば、新聞に誰でもわかるような嘘記事を書いても、全ての人がそれはユーモアのある記事であると思ってもらえない。そんな世の中になったというか、4月1日がそういう日だといういう事を忘れている人が多いのかもしれない。

 だから、今話題のSTAP細胞の話も今日発表していれば、もし捏造であったとしてもあれは嘘でしたと言ってしまえば、落ちまいという事になったのだろう。

 エイプリルフールが下火になった理由は、やはりネットの情報量と質というのが関係しているのだろうと思う。誠しとやかに流される嘘情報や本当か嘘か判らない情報まで、或いは、流した人は本当だと思っても実は間違っていたという事まで合わせて、その流れる膨大な情報の渦の中で読む人がその判断を任されている。

 今までだって、新聞やテレビなどが間違った情報を流し、後で訂正するというのは良くあることだったのだから、誰が本当の真実の情報を流せることができるのか判らない。

 

 そんなことを言うと、かの国が言う歴史問題も、今となっては当事者以外それが嘘か誠か判らず、このままいけば声高に喋る人間の声が通り、日本以外の国の人は、その嘘と思われる歴史を事実として認識してしまうという事は大いにありうることである。

 アメリカが、イラク大量破壊兵器があるとの理由で攻め込んだが、実際、その事実は無かった。その戦争で多くの人が死に国土が破壊されたが、そのことに対してアメリカが反省したかと言えば反省はしていない。

 そういうものであると人間は認識しなければならない。嘘が本当とされ、それが間違っていたとしても誰も声を上げなければそんなことは誰の耳にも入らない事実となる。時が経てばそれはどれほどの意味を持つものか判らなくなるだろう。

 そして、その戦争のためアメリカの国力は衰退した。もしその情報に振り回されていなければ今頃世界はどうなっていたのだろうかという思いはある。

 エイプリルフールの日だけしか嘘を付けないというルールが出来たら世の中はどのように変わって行くだろうと考えるのもありだろう。