親殺し

 雨、気温は11度。

 まだ外は薄暗く、消え忘れた街灯が光を放っている。こういう景色は、秋の寂しさを一層漂わせるものである。

引用 北海道新聞http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/566471.html) 

南幌空知管内南幌町の自宅で1日、祖母と母親を刺殺したとして、殺人容疑で高校2年の三女(17)が逮捕された事件で、事務員の母親(47)は喉の刺し傷が致命傷となったことが2日、捜査関係者への取材で分かった。背中など数カ所も刺され、即死だった。三女は「しつけが厳しく、今の状況から逃れたかった」と供述しているといい、栗山署は強い殺意を抱いていたとみて動機の解明を進めている。

 2日前の事件である。色々情報が出てくるが、容疑者が明らかなだけにこの事件も話題に上らなくなるのだろう。

 この記事のように、色々容疑者の状況が色々な情報として出てくるが、決してそれが真実とは限らない。ただし、計画的に殺人を犯そうとしたことだけが事実である。

 その犯行に至った道筋は、一見、迷路を抜け出す足跡のように見えるかもしれないが、実際は、時間の流れと共に縦糸横糸が複雑に絡み合った布に縫い付けられた赤い糸のようなものである。見えるか見えないかしながら出口にたどり着いたようなものである。

 結果一人が生き残り、2人の人生が終わったという事に成る。

 その色々なしがらみを解き明かすことは、容疑者自身にも不可能であろう。それを他人が論評することにどれだけの価値があるか?突き詰めれば突き詰める程、それは別の物語になって行く。


 ここで話されなければならないのは、血の繋がりは幸せを生むと同時に憎しみをも生み出すということ。親は、子供に血繋がりを求め、子は、親の束縛から抜け出そうとする。親子というそういった関係を維持するために発生する軋轢は、消え去る物では無く、澱のように沈んだものが何かの衝撃で舞い上がり澄んだ水を曇らせてしまうようなものになる。

 この子は、きっと親を殺す前に逃げ出すべきだった。逃れられない何かから逃げ出すためには。