お隣

 晴れ、気温は2度。冷え込みが厳しい。山々の紅葉も終わりに近づき、平地の樹木の紅葉もそろそろ落ち葉が目立つようになってきた。

 日本国内のニュースは、何故かお隣の国の話題が必ず入るようになっている。日本国内のニュースは取材力が限られているため、外国のニュースも入れなければならないのだろうけれど、別にお隣の国のコンサートで事故が起こったことを映像つきで延々と流されるのもどうかと思う。

 今、海外ニュースで知りたいことは、ISISの事であり、エボラの動向である。だけれどもあってもサラリと終わりに成るか、何も報道されず終わる。もし知りたければネットで自分で探すしかない。

 既にテレビの報道は、自分たちが利益に成るようなものを中心にして、それ以外のものはネットで調べろという事なのだろう。既に制作している側も報道については、ネットに対抗する考えは毛頭ないように感じる。

 それよりも、如何に視聴率を稼ぐために番組作りをするかに力を注いだ方が金になると経営者側も判断しているのだろう。確かに目先の利益を追えばそこに到達する。

 そして驚いたことに、皆様の放送局であるNHKまでも、報道に力を入れているように見えない。NHKまでも視聴率競争に力を注ぎ、ドラマやバラエティなどをまるで民放が作っているのかのようなものが目立つようになってきた。

 昔からこんな番組作りだったけと思うし、昔なら放送コードに引っ掛かり絶対放送されないような映像も流れる。自分がそれを一番感じたのが、「Songs」という歌番組のサザンの回だった。あれは、昔なら即放送禁止で出入り禁止になっただろうとおもう。それが天下のNHKで平気で流れるようになったのである。

 時が過ぎれば規律も変わるということをNHKという何となく公共のルールを示していたはずのものが、自らルールを変えているのである。今の大衆がこれくらいは問題ないと判断しているという事なのだろう。

 この様に番組作りの基準は変わり、大きな流れが作られ、皆がそれにそって番組作りをしているのは良く判る。そのネタとして隣の国と言うのも安直だと思うだけである。

 そうすればそうする程、何故か自国の良さというものを見ないようにし、自分たちの悪いところばかりを報じたがり、ついにお隣の国が以下にも素晴らしい国のように報道しだす。

 

 それが日本人気質というものなのかもしれないし、自分たちの能力を卑下するように教育されてきたからなのかもしれない。あるいは、隣の芝生は青く見える現象なのだろうか?

 この先、どちらの方向に向かうのか予想もつかない。10年後生きていてこの文章を読み返す時がもし来たなら何と思うのだろう。