歴史

 曇り、気温は8度。夜明け前は2,3度だった。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASH5723NQH57UHBI00D.html) 

主に米国の日本研究者、歴史学者ら187人が連名で「日本の歴史家を支持する声明」と題する文書を5日に公表した。戦後70年間の日本と近隣諸国の平和をたたえつつ、歴史解釈の問題が「世界から祝福」を受ける障害となっていると指摘。過去の過ちについて「偏見なき清算」を成果として残そうと呼びかける。

 

 この声明の記事にすごく違和感を覚える。

 その一つは、自国を非難する情報は率先して掲載するが、他国が歴史的にしてきた先住民に対する虐殺や奴隷として扱ってきた過去を非難しないことである。

 それは、バランスの問題である。日本人は戦争という名の下で多くの他国の人の命を奪ったことは間違いない事実である。しかし、同時に戦争に巻き込まれて多くの民間人が犠牲となった事実がある。

 日本が他国にした事実を永遠に忘れないようにしなければならないとしたら、空爆や原爆で亡くなった大勢の人がいたことを忘れてはならない。もし戦争犯罪を平等に追及するなら、日本軍が他国に行った軍事行動が罰せられるなら、アメリカが行った民間人の大量殺戮も戦争犯罪として処罰されなければならないだろう。

 世界平和を求めるなら、戦争は自身だけでは無く相手に対しても戦争への反省を求めるべきだろう。それでなければ自国の利益の為なら戦争を厭わない国が一個でも存在すれば日本は交戦しなければ成らない可能性があるからである。

 また、このような言論は、日本人は幾ら非難してもその非難を甘んじて受け入れなければならないという抵抗できない精神状態に追い込んで圧力を掛けるいわゆるパワハラの種類に通じるものがあるからである。

 

 戦後の教育は、日本人は酷いことをしたという平和教育に名を借りた自虐史観で子供たちを洗脳してきた。それは、歴史教育を受ける上で公平に歴史を見るという観点に欠けた教育だったと思う。

 だからと言って、日本が神の国だったという日本神話から教育しろというわけでは無い。もし、平和教育が正しい方針だったとしたら外国が行ってきた侵略が悪だと糾弾しなければならないし、世界を征服しようとした人間は全て悪人だと教育しなければバランスという観点から見れば間違いだと思う。

 しかし、そういった歴史も見る角度を変えればその侵略が正しいものに見えてくるし、間違ったものに見えてくるのも事実である。歴史教育程難しいものは無い。更に言えば歴史家が考える歴史は戦勝国の史観であり、敗戦国はその歴史観を受け入れる立場になってしまう。

 もし、日本が第2次世界大戦で戦勝国になっていればまた違った歴史観が生まれ、今のような状況にはなっていなかっただろう。

 中国や韓国の教科書が日本を絶対悪として教育していることは間違っていないのか、自国で教えている歴史をそちらの方へ合わせようとしているようにしか見えない。あるいは慰安婦問題のように歴史をねつ造して報道することで新しい歴史を作りだし、他国に迎合することで日本を何時までも戦争犯罪人の国に抑え込もうとしているように思えるのだ。

 そういった非生産的な歴史教育を行えば必ずそれに反発する層が出てきてもおかしくは無いだろう。自国には自国の歴史の解釈が存在するならその行動は起きて当然だろう。

 しかし、それも極端に振れてもらっては困ることで、そういった負の歴史も認めながらバランスよく世界の歴史を眺められる感覚をもった日本人を育てる必要がある。

 歴史が動く切っ掛けは、パワーバランスにしか過ぎない。力を持った国がその力を内向きにするか外向きにするかで歴史が変化してきた。その変化の方向性により多くの犠牲者が生まれてきたわけである。

 そういった動物的本能で世界は動いてきたわけでそういった観点から歴史を見直せば日本が何故外向きに行動をしたのかが判ると思う。人間の一人一人の感情で動いた可能性が無いわけではないが、そういった行動を起こさせる環境が形成されると必ず事件や争いが起こる確率が高まるという事だと思う。

 歴史の大きな流れとその中で起きる小さな流れをごっちゃにし、小さな流れを人間の理性で押さえることができると考えてコントロールしようとしてもそれをも超越する歴史の流れが存在し、マクロ的な観点から見れば起こりうるべく起きた事象であり、人間の知性を超えた所に歴史の流れは有るのだろう。