東芝問題

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引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASH7P4D0LH7PULFA00S.html) 

 東芝の不正決算問題は、歴代3社長が会社を去り、取締役の半数、8人が辞任する異常事態を招いた。社長を辞任した田中久雄氏は意図的な不正との見方を否定した。だが、21日に全文が公表された第三者委員会による報告書は、田中氏が事業部門を利益水増しに追い込むなど不正が意図的で組織的だったことを浮き彫りにした。

 人間は、社会の奴隷でもある。任侠映画で描かれるヤクザ社会が組のために自らを犠牲にすることを美徳(今はどうなのか知らない)として描くのと同様に、会社組織も例えればヤクザ社会と同じである。自分が使えて来た会社を守るためには自分を犠牲にしても守ることが多くの社員の命を守ることに繋がると考えているのかもしれない。

 とはいっても世の中の仕組みはそう簡単に例えられるものでは無い。会社というより誰かの犠牲に成ることで利益を得ようとしているのか、それともそういった仕組みからさよならされるために自らが動くのかそれは判らない。

 いくら会社のために犠牲に成ったと自分が思っていても周囲はそんなことは思いも至らず、会社の名誉を傷つけたという思いしかないのかもしれない。今の会社組織は、自分たちの地位を維持するために今まで自分たちのために働いてきた人間をリストラクションという名目の元、切り捨てるのを厭わない組織になってきている。

 大きな組織を守るため、組織の一部を切り離すことで身を守ろうとしているだけで、本当の病巣を切り捨てなければ何時かはまた同じ過ちを繰り返すものである。そういった悪しき伝統は、体の奥に潜むがん細胞のようなもので、組織が膿んで来た時にまたその病巣を広げようとするものである。

 その病巣は、誰が直すかと言えばその組織の一人一人の動きに掛かっているという事である。誰がトップに成ろうと巨大化した組織は、頭の見ている方向とは違った動きを勝手に行ってしまうものである。

 

 それを制御するのは自分自身だけでは無く、間違った動きをしたら電気ショックを与えてくれるような外部の手段がどうしても必要となる。

 

 会社組織が出来てから年月が経てば経つほど最初に有った初心を忘れてしまうものである。東芝のキャッチフレーズである、「Leading Innovation」を理解するところから始めなければならないだろう。