自己啓発本

 晴れ、気温は14度。朝晩は冷え込むようになってきた。


 自己啓発の書物は色々ある。自分もそれなりに読書を行ってきたつもりである。しかし、その本の中に広がる世界は、やはり作者の見た世界しか広がっていないということである。

 どんな思想も、考えも、その作者の世界を越えなければ多くの人を納得させることはできない。しかし、そういった本を今まで見たことは無い。

 一時流行った、ドラッカーも真実を述べていた。しかし、これから先も真実であるかどうかは判らない。そしてそれを探すための書物だったのかもしれない。

 人間は、何十年と生きればそれなりの人生観、或いは生き方と呼べる人生へのスタンスを身に着ける。そして、その人生観が形となり何らかの思想に達する。しかし、それは必ず成功者の自伝となる。時折、何故自分は人生で失敗したか、そしてそれから逆転の人生を歩んできたかという本もあるが、その中身の殆どが人生が上手くいっている時の教訓である。

 十人十色と言う言葉があるが、十人いれば十通りの人生がそこにあり、必ず違う人生を送ってきたはずである。そしてその中で十人それぞれ少なからず成功体験を持ち失敗体験を持つ。それぞれの体験がその状況によって異なりそれを克服できた方法も異なっていただろう。

 万人が皆同じように救われる方法は無い。同じ指導法は無いし教育方法もない。本当に全ての人間をある一定レベルの人間に育てる方法は無いだろう。半分程度の割合でその指導のレールに沿った人間が育つかもしれないが、それは、動機であり、それ以降の成長は本人に委ねられる。

 こういった啓発本のずるい所は、人には必ずある成功体験のいくつかの琴線に触れるように書かれている点である。その部分に共鳴させれば必ず本は売れるし評判を呼ぶ。「成る程」というように読者に共感させることである。

 この点は、宗教にも言える。相手を成る程と納得させるものが有れば、話を聞こうとする糸口に成る。その納得させる部分が、心の安らぎを与えること「あなたの生き方は正しい」と認めてあげることであり、何らかの行いをすれば人生はバラ色であり、もし、失敗すればそれは今まで生きてきた悪行が結果となって表れてきたのだと納得させる話術である。

 本来なら、自分で考え行動しなければならないことを他人に頼り、その指示のまま行動するという事が有ってはならないのだと思う。自分の生き方は、考えることによって見えてくはずである。

 しかし、人間とは弱いもので自分で考えると余計不安に成り、他人の意見を求めたくなる。そこで考えることを放棄してはならない。