愚者の考え

 晴れ、気温は12度。今日は気温が上がりそうである。

 今も昔も変わらないのかもしれないが、平和な世の中が続くとありとあらゆるもののモラルが崩壊し始める。それは、良いことをしようという目的意識が希薄となり、手を抜く、ずるく立ち回る方が楽というような悪への意識が強くなるからである。

 そういった内部崩壊が始まった社会は、何かの理由でリセットされる。戦争であったり、自然災害であったりである。しかし、不思議と悪の種はリセットされずいつの間にかまた世の中に芽吹き悪の華を咲かせるようになる。

 人間が持つ性質にあるのは、悪と善という分かり切ったものではなく、その中にやはり善悪の区別がつかないようなグレーのゾーンが広がっているのだと思う。

 自分の考えでは、人間の本質はどちらかというと悪に分類されると思う。自分の中に潜む悪を表に出さないようにするために人間は苦労しているのだと思う。そしてその閉じ込める苦労をやめたときどんなあくどいことを行っても心に痛みを覚えない本当の悪になるのだと思う。

 もし、人間の本質が善というのなら、なぜ、考えの違う人間を排除しようとするのか、そのために相手を地上から抹殺するために全力を挙げる理由が無い。


 善悪という2元論で物事を人間は判断しようとするが、それがそもそもの間違いである。自分にとっての善という判断基準は他の人にとって見れば悪という判断基準になる。自分の善が世界の善ではない。

 多くの宗教が、善を唱えるが、その教えを守るため他の宗教を攻撃することがある。それは、自分たちの善を守るための正しい行いだと説くからである。

 

 今の時点でも人間の愚かさを露呈することが当たり前のように起きている。

 東京五輪の開催を獲得するために裏金が有った疑いがあり、フランスの検察が捜査を開始したという発表があったが、それに対して国内では、日本の誘致活動は世界一クリーンといわれていると何の根拠もない発言を繰り返し無かったと言い張る。もし五輪が開催する前に大スキャンダルになったらと考え火消しに必死になる。

 舛添東京都知事の政治資金私的運用も、それが当然という国会議員の政治活動費の使い方を踏襲しただけである。実際、政治活動費で自分の個人的な飲み食いの領収書を紛れ込ませただけである。きっと自分はそんなことは当たり前と思っていただろう。しかし、結局秘書が処理を間違えたと報告して終わりだろう。

 既に、善悪の境界を失い、ごまかすことでその場しのぎできると考えている。人間というのはそんなものである。もしかしら、北朝鮮の独裁体制のほうが善悪の区別がハッキリしているのだろう。それは独裁者の物差しで善悪の基準を作るからである。それはそれで別な問題があるので北朝鮮をほめたたえるわけではない。


 濡れ手で粟ではないが、転んでもただで起きない、法というルールに守られた中で、誰かに見つからなければ許される、あるいはそれはルールに載っていないというだけで、非常識と思われる行動をとる。それが当たり前で、それをしないのが悪いという風潮が世間の常識になっているのだと思う。

 しかし、それは今始まったわけではなく、昔からそういったことは繰り返し行われてきていて、それが当たり前に起きるのが人間社会なのである。その歴史を何度でも繰り返すのが人間なのである。そして、自分もその中の一部であることは間違いない。