正常

 晴れ、気温は7度。比較的暖かい。

 ストレスによる病気というのは意外と多いものである。胃、腸などの神経症状、めまい、頭痛などの頭部の症状、そういった病的な症状として現れるものの他に、精神的症状などがある。

 この精神的症状というのが問題である。ほっとけば治るものから長期的に継続した症状として現れるものなど症状の出方に差があるし、それ以外にもその行動ごとに病名が付くような時代である。

 昔なら、気持ちの問題で全て片づけられたことが、それぞれ病名が付けられるようになり始めると、この世に正常な人は存在しないのではないかと思われるようになる。

 人間が集団で暮らすようになり始めたと同時に精神疾患は発生したのではないかと思う。人が群れだすとその群れから離れようとする人が必ず存在する。

 仲間外れにされたという訳でもなく、皆で何かしようとすると何故かその話から外れようとする人間は必ず存在する。その存在は、ある意味目立つ存在でもあり、仲間に加わるように説得が必要でもあった。

 また、変わった行動を取る人間も必ず存在した。それも変な奴という認識で済まされる程度の行動であるがある頻度で出現する。そういった多くの人間が存在する中でそういったタイプの人間が存在することは人間社会で許容されるが、社会に出るとその適応範囲は限られてくる。仕事をさせれば効率が悪く人並みにできないとなれば組織から排除されていく。一見普通そうで実際はそうではない人への対処は難しい。

 

 社会に適合できなければ即排除なら、その適合できなかった人をどのように救うのか、人一人の力では何ともしがたい。適合できなかったことは決して悪ではないし、もしかしたらその人を排除する社会が間違っている可能性もある。

 

 一般社会の常識が別の社会から見れば非常識だということもある。昔、働きすぎと批判された日本人社会も、働かないことが常識の社会から見れば異端である。その批判に対して自分たちが非常識ではないかと考え、働きすぎは悪いことだと決めつけてきたが、もっと働く社会から見ればあるいは働いていないとみられるかもしれない。

 見方を変えれば、自分たちが正常という物差しがないため社会の判断で正常範囲が大凡決められてはいるが、その正常範囲は、幾らでも変わるものである。もしかすると自分も見方によれば正常範囲を外れた存在でもある可能性がある。

 正常という常識は異常と裏表の存在でもある。