理想と現実

 曇り、気温は10度。先週末から朝の冷え込みが強い。それでも今日からは気温が上がり日中は夏日になるところが全道的に多くなる。これだけ寒暖差が激しいと農作物が心配である。

 ただし、この陽気も長く続かずまた低気圧が移動してくるため週の後半は雨がまた来る。折角の休みなのにそれを狙って雨が付いてくる感じである。

引用 産経新聞http://www.sankei.com/life/news/170605/lif1706050042-n1.html

共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が国会で審議されていることを受け、世界の作家団体で構成する国際ペンのジェニファー・クレメント会長は5日、「共謀罪は日本の表現の自由とプライバシーの権利を侵害する」と題する声明を発表した。

 

 共謀罪についての働きかけは、ついに国際ペンクラブまでに及ぶことになった。ある意味日本人と世界のつながりがこれほどまでに根を張っている証拠でもあり凄いことだと思う。

 一つ気になるのは、やはり日本は平和な国なのだと思う。日本を世界で一番平和な国にしたいと思う人たちが沢山いるという証である。そのことはやはり日本が他国と領土を基本的に接しない環境にあるということである。

 言い換えれば理想的な国家を作れば世界もおのずと従うだろうという夢を見ているだけとも言える。海を隔てることで他国の争いやテロと正面で向かい合わないことが出来る環境にある。いわゆる世界の中にデズニーランドのような夢の世界、仮想の国が存在できると考えている。

 その思いは一面で正しいのだが、その夢の世界も世界の発達とともに徐々に侵略され始めている。その一つがEUで起きているテロ事件であると思う。

 その原因の一つが、テロを起こす彼らの人生が文明国家の犠牲に成り立っているとの考えだろう。そもそも彼らの土地が石油の上に存在することが始まりなのだが、その資源を持つ国と持たない国が混在し、方や働かなくとも生活ができ、方や奴隷のような暮らしを強いられる国もある。

 そう言った地続きの環境で存在し、その間で往来があれば生まれながらにして与えられた環境の過酷さを現実として感じている。根本にあるのはそこだと思う。

 翻って日本はどうだろう。マスコミは、日本の現状を憂いている。それが貧困問題として露わになる。しかし、その貧困問題を根本的にマスコミは解決しようとしない。彼らが望んでいるのは自分たちが自由に取材でき、取材したものを自由に記事にする特権である。彼らは決して楽園を求めていない。何故なら貧困、階級社会、そういった不都合がある社会の方が自分たちの飯のタネになるからである。不幸が無ければ自分たちの職場が失われるので、現状のままが一番助かると考えている。

 混乱は、マスコミにとって必要な環境なのである。その素晴らしい環境の中で自由にモノを書き発信できる世界を作り上げることが願いであり、その環境を犯そうとする共謀罪は当然反対だし、その考えを進める安倍政権は打倒すべき存在だが、彼らも決して一枚板ではなく、自分たちに少しでも有利なところがあれば目ざとくそれに従う。そういった烏合の衆の集まりである。

 政治家の嘘は、生まれつきと思ってよい。嘘つきが政治家になる。更にマスコミも嘘つきである。自分たちの不都合な真実は、スクラムを組んでもみ消そうとする。彼らの暗黙のフィルターがありそれを通して情報は伝わっている考えてよい。

 最初に戻るが、国際ペンクラブの反対声明は、国内の勢力が加担して発せられたものである。そこに真実は無い。裏に見える黒子の裾の下から白足袋が見える。国連の報告官もそうである。彼らは権力と争っている言っているが、都合の良い敵としか争わない。日本が決して卑怯な手段で自分たちを傷つけないと知っての上での行動である。

 正当な意見というものは決して存在しない。存在したら戦争も領土問題も起きない。存在したら誰もが正しいと納得するからである。

 

 人間は、曖昧な社会で生きている。自分にとって正当な意見でも必ず違う意見が存在する。正当な意見を認めさせるには、その意見を裏で保証する社会の存在が必要で、その社会に依存しているといって良い。日本だけがネバーランドになることは決してない。