終戦記念日

 曇り、気温は19度。再三天気予報でオホーツク海高気圧の張り出しが言われているが、原因は太平洋高気圧が弱まっているせい。あの7月末の猛暑が一転して肌寒い日が多かった8月前半であったが、例年なら今頃からオホーツク海高気圧が張り出してくる時期、お盆を過ぎて丁度夕方秋風が吹いて夏の終わりを教えてくれるのだが、今年は昨日だったのかもしれない。

引用 時事通信https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0815/jjp_170815_2332124293.html

72回目の終戦記念日を迎えた15日、早朝から靖国神社を参拝する人たち。日中戦争と太平洋戦争では約310万人が犠牲となり、そのうち海外で亡くなった人は約240万人に上る。


 終戦から72年が経ち、そのころに生まれた人々が71歳の誕生日を迎える。そのころ戦争に召集され戦場にいた人たちも既に90歳以上を超えている人が大半だろう。

 毎年この時期になると考えるのは、その子孫が何時まで過去の歴史により他国から咎めを受けなければならないのかということである。

 以前にも書いたが人類の歴史は戦争の歴史である。世界各国の大部分が戦争や紛争など他国の争いの歴史を持つ、その当事者が存命ならば争いで敵の命を奪う経験をしてきたわけであるから反省すべきことだと思う。

 しかし、その歴史の中で時が過ぎその時代を経験していない人たちが今の時代を生きてきているのにやはり過去の事実を反省しなければいけないのだろうかと疑問を持つものである。

 人類の歴史が人間間の抗争で築き上げられたとしたら、人類の祖先を遡れば全ての地球上の人間はその争いの責任を取るべき血筋なのだろうと思う。

 そしてこの日脈絡と受け継がれていることに、靖国神社の参拝問題がある。元はと言えば日本国内の行為を世界に広めてしまったのが日本のマスコミであった。そうしてその行為が戦争を賛美するものと考えるグループの政府非難の方法として、中国、韓国の圧力を期待した向きもある。

 そういったことは戦略の一種なので使うことに意義は無いが、間違った歴史認識を持つ切っ掛けになったことは否めない。日本軍の行為が日本人一般の行為であり、全ての日本人が好戦的で、他国の人間に残虐な行為を行うという部分が強調されすぎてしまった。そのためそういった経験を実際していない人たちもその誇大化された認識を持つことがその後の友好という面でブレーキを掛けているのは否めない。

 マスコミの報道としてあるべき姿は、悲惨さを強調する余り日本人を卑下し、戦争が好きで歯止めを掛けなければいつ戦争を起こすか分からない国というイメージを払拭することが大切だろう。

 一方が一方を非難する関係は友好的関係を築くことは困難だからである。

 上に上げたように、72年目を迎え、それだけ時間が経ち歴史は変わっている筈である。戦争をしないという認識は必要だが、残虐的な行為だけを日本人の記憶に残し続けることは一種の洗脳であり、中国、韓国の歴史教育に通じるものがある。

 戦争反対を考える余りに、それと異なる考えを持つものを排除攻撃しようとすることに徹するあまり、日本という国の姿を見失う今の姿は正常ではない。日本という国のアイデンテティを維持するには、やはり連帯する意識が必要であるだろう。

 その一つが、象徴とする天皇であり、国家国旗なのだろうと思う。逆にそれを認めることが自分たちの存在意義を失わせるものだと考える人たちがこじらせている気がしないでもないこの頃である。