高高齢化社会

 曇り、時折雨粒が顔に当たる、気温は21度。夕方から雨になるとの予報だが、午前中から本降りになりそうである。

引用 日本経済新聞http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG23H6H_T20C17A8CC1000/

岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」で高齢入所者5人が相次いで死傷した問題で、県警は23日、事件性の有無などを調べるため高山署に捜査本部を設置した。7月末からの約半月間に死傷者が集中していることなどを考慮。約60人態勢で全容解明を進める。

今後日本に到来する高高齢化社会で起きることの一つだろうと思う。以前にも高齢者施設での職員の虐待が時折表面に現れて消えていくが、今回も被害者がモノを言えぬ場合が多いため、見過ごされてしまうことが怪我や死亡という事実で明らかになってきた。

 これは、我々が直面するこれからの社会に向かって行くうえで避けられないことだと思う。人が人を介護する現実を多くの人は知らない。介護する側は強者であり、介護される側は弱者である。強者の驕りは弱者に対する虐待に容易に発展する。

 

 またこういった入所者は、何らかの疾患を抱えているため不審な行動を取りやすく、普通の対応では対応できないことがある。ある意味介護する側は、仏のような心を持つか、心をなくした機械のような対応を取るようするしかない。もし、それが出来なければ心は崩壊し事件を起こしてしまう可能性が高い。

 更に職業として若者に受け入れられるかというとそれも難しいだろう。今後若年者が不足する世の中を迎え益々なり手がいなくなる。そういった職業になりつつあるのが現実である。

 

 人は時が経てば必ず老いる。それはどの人にも時間の差が有れど平等にやって来る。老いるということがどんなものかは実際に自分の身に起きなければ人事なのである。

 しかし、そういった社会がすぐ目の前に迫る中で、介護な必要な人をどのように扱うのか、親子でも難しい現状に対して社会はどう対応するのか、次に老人になる世代が選択しなければならない時が来ている。

 美辞麗句だけでは済まされない話である。