話題の無い朝

 雨、気温は4度。空は比較的明るいけれど小雨が降っている。上川の方は、日中霙か雪ということある。

 今日は、今まで書こうと思っていた記事の内容を書こうと思っていたのだが、このページを開いて記憶からすっかり飛んでしまった。こうやって文字入力をしていけば思い出すかもしれないが、自分が書こうが書くまいが所詮たいしたことではない。

 ということで何を書こうかお題を探したが、特にこれといって考えを巡らすような話題は無い。巷では選挙の話題といってもマスコミが騒いでいるのと一部の人たちが騒いでいるだけで、普通に会社に行き仕事場を行き来しているだけでは実感が伴わない。

 なぜそうなのかというと、今回の選挙に大義名分が無い。言うなれば争点である。憲法改正を選挙の争点にしているのかもしれないが、改正までの道のりは遠い、差し迫った問題は、これから来る超高齢化社会に日本が今のままで対応できるかという事だと自分は思う。

 その一つは、このままの価値観で日本が動いていくか、それは言うなれば世代間の差が大きい話題である。このまま行けば利益を得ている高齢者と、これから先本当に利益を得られるか分からない若者世代との考え方の乖離がますます進むのではないかと思うのである。

 一つ言えることは、確実に高齢者が増えて行くことで中年世代以上の人間は、これから得られるであろう利益を無駄にするような社会にしたくは無いために老人たちのいうことを信じるだろうということである。

 しかし、それとは別に既に先のことは判らないと考える若者世代は、もし自分たちの未来が不幸になると判っているなら、現状をリセットしたいと考えることだろう。そうすれば自分たちの世界がこの先滅んでも、今の格差社会の現状を変えられると思うからである。

 だけれども現実に聞こえる若者世代の感想は、就職難民にならない現状を喜ぶ声しか聞こえてこない。彼らは、まず仕事を見つける苦労を知らないことに感謝している。その先、務め始またらまた違った壁が存在するにもかかわらず会社に隷属しようと考えているのである。

 そういった現状を支えているのは、危うい砂上の楼閣のようなものである。突然の嵐が来れば簡単に崩壊してしまうようなもろいものである。

 昔のような日本が世界に技術で君臨する時代は中々やってこないだろう。多くの技術者が考えて作り上げたものは、コンピューター社会の発達で土俵を変えられてしまったからである。土俵が変わればルールが変わる。その変わったルールに合わせられたものだけが勝利を掴む世界になってしまった。

 この先、間違いなく色々なものがAIに動かされる社会が来る。人間はもしかするとAIに隷属しなければならない立場になる可能性がある。

 選挙から、AIまで見事に飛んでいるが、我々の社会は選挙とは無関係に進んでいく。この結果がどうなろうが既に決められた運命を突き進んでいくのだろう。

 この選挙で自民党が勝利したとしても、あるいはそれ以外の党が勝利したとしても日本の未来は既に決まった方向へ動き出しているのだと感じる。

 その転換点はやはりあの311からなのだと思う。この先どんな社会になるのか何時か想像かもしれないが書いてみようと思う。