裏の裏

 雪、気温はマイナス5度。所により大雪という予報なので注意が必要。

 予想通り、今日の一面は日馬富士の引退と北朝鮮のミサイル発射だった。そして、その比重は一見同じように見えて相撲の方が高い。その証拠は、日馬富士の記事は、一面、スポーツ面、社会面と盛りだくさんである。相撲は国技というけれど、決して国技と決まっている訳ではない。一スポーツの括りでいえば横綱が暴力事件で引退することをことさら大きく報じることは無い。

 何だろうこの感覚、相撲という競技の内輪の熱狂を無理やり浴びせられているような、できるなら遮断したいくらいまで思う気持ちを感じていてくれるだろうか。

 北朝鮮の核ミサイルの準備が着々と進み、いつでも発射できる体制にあるということを横目で見ながらも尚見ないふりをしているマスコミに対してこの国の報道機関のありようは、中国と同じではないかとさえ思えてくる。国民の目をそらすことに必死すぎる気がしてならない。

 日本が第2次世界大戦で戦っているとき、負けているのに勝っていると報じ、国民の気をそらさぬようにしていた新聞と同じである。そういった何も言えない状況を作るべきではないという反省から、戦争に進むことのないように国家権力に立ち向かうという意思で戦後新聞社は始まったはずである。まあ、それも上辺の綺麗ごとではあるのだけれど。

 結局、自分たちが報道したいものを報道する。臭いものには蓋ならぬ、何らかの権力の元で動くということが判っているのだが。それをそ知らぬふりをして正義の味方振るのが見ていて気持ち悪いだけである。彼らは決して正義の味方ではない。彼が正義と思う者の味方であって、全ての国民の味方ではない。ある人にとって悪人にもなる。ただそれだけである。

 そのため本当なら全幅の信頼を寄せなくてはならないのに、彼らの出す情報の裏読みをして、その報道が一体だれのためにされているのか疑いながら記事を見ていく必要があるのが情けない。

 新聞を含むマスコミは、何時でも正しい情報を流すわけではない、彼らが正しいと思うニュースだけを流しているし、恣意的に情報操作をする。それは、多くの人に知ってもらいたい。