人は争う動物である

 曇り、気温は4度。

引用 朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASL3G4RKJL3GTPOB001.html) 

米軍普天間飛行場の移設工事が進む沖縄県名護市辺野古などで抗議活動中に、沖縄防衛局職員らに暴行したなどとして、傷害や公務執行妨害、威力業務妨害などの罪に問われた反対派のリーダー山城博治被告(65)に、那覇地裁は14日、懲役2年執行猶予3年(求刑懲役2年6カ月)の判決を言い渡した。

 判決によると、山城被告は2016年1月、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前にコンクリートブロック約1500個を積み上げて沖縄防衛局の業務を妨害したほか、16年8月には沖縄県東村高江で防衛局職員の腕をつかんで約2週間のけがを負わせた。

 柴田寿宏裁判長は「工事に反対、抗議するという表現活動の面もあるが、実力行使をしており表現の自由の範囲を逸脱している」と述べた。

引用 沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/89582

米軍基地建設の反対運動中に逮捕・起訴され、威力業務妨害罪などに問われている沖縄平和運動センターの山城博治議長(64)=保釈中=の次回公判で、那覇地検は8日付で「議長や関係者の報復を恐れている」として、検察側証人2人の遮蔽(しゃへい)を那覇地裁に求めていることが分かった。

 このニュースを見て、主義主張の違いは、憎悪を生産するということの真実を見せてくれたものと思う。

 今回の判決は、辺野古反対運動の活動が行き過ぎた暴力だと認めたわけだが、反対派、国が暴力的に行動しているのに自分たちがそれに対抗して暴力的行動に出るのは仕方ないという。あるいはあの行動は暴力ではないと考えているようだ。

 しかし、そこに暴力は存在し、権力をし移行する側とそれに意を唱える側は同じ結論に達することは無い。暴力に対して暴力で対抗するのは正しいという考えは不偏である。

 何時も思うのだが、人は感情にかられると「目には目を」という行動を取る。最初は小競り合いだがそれが徐々に燃え広がれば乱闘になり最後は殺し合いになる。お互いが不幸になって初めて現実を知る。冷静になれば自分たちが行った行動は誰も幸せにならないことを知る。

 その冷静さを取り戻すためには、一つは話し合いと冷却期間なのだが、その日が燻れば燻るほどため込んだエネルギーは放出場所を求め始める。更に、その騒ぎに火をつける輩も存在する。回りに回って自分たちの利益を得ようとするハイエナのごとき活動をするのである。

 一層のこと天変地異が起き争いの場所がこの世から消え去れば良いと思う時さえあるだろう。争いの種を無くすことが問題解決の早道なのだが、それ程簡単にはことは進まない。

 例えば、竹島尖閣諸島の問題もそこに争いの種があるから事は平和裏に解決しない。これは未来永劫解決しないといって良い。国後、択捉、歯舞も同じである。

 何時か人類はこの地球上から姿を消すだろう。これ程の人口を抱えるには地球はもはや狭すぎるからである。そういったことが相まって人は殺し合い自分たちの空間を確保しようとするからである。

 人の本質は変わらないし、変わろうとしない。