ローカル線廃止は格差の象徴

 晴れ、気温はマイナス1度.冷え込んだ.

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 JR北海道の赤字の大きさを考えるとバス転換はやむなしのところだろう.国鉄の民営化による弊害は北海道が一番受けているだろう.その大きな理由は、人が住む場所が点在しているからである.

 同じJRでも九州、四国などは人が住むところの距離が近く鉄道があればそれを利用する人がある.しかし、北海道の場合、人が住むところが点在し、更にその距離が長い.当然それに合わせて鉄道を敷いたり駅を作ったりが出来なかった.そのため、早くから北海道は車社会になっていた.そのため北海道の田舎の利用者は、学生に限られており駅まで車で送り迎えしなければならない環境になっていた.北海道はそういうところだった.

 たまにローカル線を利用したりすると一両の列車の中に乗客は自分一人という場合もあり、これでは採算は取れないだろうと思っていた.

 

 もし、北海道の広い地域を網羅して住民の足となる路線を作るなら相当の赤字を覚悟しないと運行できないのは明らかである.

 

 では、このまま切り捨ててよいかというとそうではない.ただでさえ若者は職を求めて都会に出てくる.更に学生が学校に入るため早い時期に都会に出てきた場合、田舎は廃墟になってしまうことは確実である.そういった廃墟を北海道に増やして良いかということである.

 

 それを防ぐには、北海道中に張り巡らしている高規格道路を利用した人の輸送体系を確立すべきだろう.その一つは、やはり高規格道路の中にバスが乗り入れられるターミナルを作るってはどうだろうか?そこを拠点とした交通網の整備である.しかし、それも国にお金がなければできないことである.

 

 このまま行けばじり貧である.もっと北海道の地方に金を投資していかないと北海道全体の繁栄はない.無理なことは分かっているが公共投資を湯水のように注ぎ込んで初めて人が住む環境が保たれることだろう.そうすることを都会の人間は許さないだろう.

 今回のマラソンの変更時の東京からの札幌パッシングは都会と田舎という格差の表れである.東京が繁栄しているのは、東京に権力が一点集中しているだけである.そのゆがんだ構造が日本の弱体化につながっている.