#MeToo 問題

 晴れ、気温は1度.今のところ大気は澄み渡り夜空の星はキラキラ輝いている.しかし、これから西高東低の気圧配置に変わり徐々に雪景色に移行していく.

 

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「#MeToo」の多くは弱者の叫びだった.強者が普通に振る舞うことで弱者はその陰におびえなければならない.それを拾い上げて世間に知らしめるための運動と捉えていた.

 しかし、引用したこの記事はあまりにも簡略化しているため事の本質を伝えていない.

 作家のメガン・ダウム氏の新著『何もかもが問題(The Problem With Everything)』を取り上げているのだが、『1960年代初頭から70年代半ばにかけて生まれたX世代』は弱者を足場に立って行動しなかった.今は、弱者の立場を利用しているというのだろうが、この記者の書き方では伝わらないだろう.

 

 何故この記事を今回引用したかと言えば、確かに時代は変わり世の中の空気が変わったと言えるだろう.LGBTに代表されるマイノリティーが世間に対して普通に自分たちはそういう人間だと主張するあるいは主張できる世の中になった.以前ならそんなことを表明する人は限られた一握りの人たちだけで、それ以外の多くは声を潜めていたからである.

 

 だから今と過去にあるギャップが過去の世代を混乱に陥らせる.弱者が声を上げるのは良いのだけれどそれを声高に主張し世間を混乱させるのはいかがなものだろうと思う.価値観が違うものに強制的に受け入れるように強制している形にならないだろうか.受け入れられない現実であり目を背けて居たいものを強制的に魅せられているような気持にさせることにも通じる.

 

 #MeToo運動は、全ての主張が受け入れられないはずである.声を上げることは自由だが、そのすべてを普通一般の価値観を持つ者に受け入れろと言うのは一種の脅迫行為に近い.

 あるいは、それを素直に受け入れられない人たちを穏やかにそして強く圧迫し批判の自由を奪っていることにもなっているのではないだろうか.