冬至

 曇り、気温はマイナス4度.寒さも少し抑え気味になってきている.

 

 暦では、昨日冬至だった.昨日が今年で一番夜が長い日だったということになる.この冬至の日は年によって違い、21日になる年もあれば22日、23日になる年もある.

 なぜ毎年同じ日にならないのかと疑問に思うのは当然である.一つは、地球が太陽の周りを暦通りに回っていないということである.暦の上で1年は365日となっているが、実際は、1年+6時間くらいで1周している.そして、その端数を足して調整するのが4年毎のうるう年である.

 また、冬至(昼の長さが一番短い日)を決める天文学的基準があり、それが、太陽横径が270度になった瞬間とするということなのである.冬至が日ではなく瞬間であるというのもポイントである.

 太陽横径って何?という疑問が起きるだろうが、小学生の頃黄道という言葉を習ったと思うのだが、プラスチック型のお椀に太陽が通った後をマジックで点を付けるアレである.太陽の通り道があるのなら何かを基準にしなければならないので昼と夜の長さが同じになる春分の日を0度として36分割した.一年を36分割するのだから、180度のところに秋分の日があり、90度のところに夏至がある.そして270度のところが丁度冬至となるわけである.

 とさらっと書いたがこれで理解できる人は天文学をかじった人に違いない.自分も説明しながら?マークが次々と浮かんでくるからである.

 昔の人は、太陽の周りを地球が回っていると考えなかった.基本は地球の周りを太陽が回って季節が変化するものだと思い込んでいたわけである.だから常に地球が宇宙の中心で有ったわけで、空を見上げたときにお日様が夏はあれだけ高いところを回っていたのに冬には結構低い位置を通ることを知っていた.そうすると太陽が一番高く上る時を夏至、そして一番低く回る時を冬至としたというのも納得できる.但し、それは昔の暦で言うところの陰暦のものであるため、太陽暦になおすと色々狂いが生じるので天文学的にきちんと定義づけたのである.

 もっと詳しいことをは、調べるに限るし一度読んでも納得できなければ何度も繰り返し頭の中で想像することが大切である.自分もそうしている.

 

 冬至の話を書くのに前振りが長くなってしまった.この話を書き始めたのは、本当は何故カボチャが関係するのかということだった.色々な地方で冬至の日の食べ物は異なるのだろうが、北海道ではカボチャである.

 丁度、夏から秋にかけて収穫したカボチャも程よく熟し食べ頃になるのと、冬は雪に埋もれ保存食のカボチャは大切な野菜であった.栄養価も豊富なカボチャで体力を付けて寒い時期を乗り切ろうと考えたのだろう.他に保存されているものといったら漬物が主流であるから、何となく漬物で栄養補給とは考えなかったのだろう.

 これもきちんと調べると諸説あるだろうが、北海道ではカボチャが冬至の日の食べ物としてある.しかし、今の日常ではスーパーに行けば豊富に野菜、肉、魚と売っており、栄養不足に陥る心配がない時代なので、徐々にカボチャを食べなければならないという習慣は無くなり、カボチャ自体も調理するのに力が必要で、若い人には不向きな野菜になってしまった.

 

 そのカボチャの記憶として、昔、自分の家でマサカリカボチャというのを栽培していた.それは、農耕馬として飼っていた馬の食糧だったからである.マサカリというように、本当にマサカリで割らなければならないほど表面は固かったのだが、それを馬はあの丈夫な歯でガリガリと食べていたのを思い出した.

 

 実は、この文を書いてはいるのだけれども、昨日はカボチャを食べなかったのは面目ないところである.