報道

 晴れ、気温はマイナス14度.今日も厳しい寒さである.明日は、低気圧の通過に伴い南風が吹き込む関係で気温は一時的に高くなるようである.

 

 毎日、毎日、ニュースは悲しい出来事で溢れている.そんなニュースが無く幸せなニュースで溢れているような日が来ないだろうか?

 そんなニュースに溢れている世界に居ると人間は徐々に猜疑心の強い人格に変化していくのではないだろうか?特に記者はそういった性格でないと務まらない職業だろう.

 

 そんな人たちにとって不幸の種が尽きない方が良い世界に違いないだろう.誰かが何かをすれば揚げ足を取るように非難することで自分たちの飯の種が生まれてくる.

 自分たちの発言通りに物事が進み災難が起きたとしてもそれを実行した人の責任であり、発言した自分ではないからである.もし、その一言が非難を受けたとしても謝罪するわけでもなく、やり過ごせば人々の記憶から消え去ってくれる.そんな発言を繰り返しながら時には、世論の代弁者として振る舞うことに恍惚感を覚えているのだろう.そういった有様が透けて見えてくるようになってしまった.

 

 新聞もテレビも一歩的な側面でしかニュースを報じない.その裏に隠された色々な事情は、後で明らかになることがあるが、責任をもってそれを追跡報道することは無く、事情は世間に知らされないまま終わることが多い.

 更にその間違った報道で傷ついた人たちは、それに対して抗議したところで、その抗議そのものが世間に知られなければ無いことと同じである.

 そんなことをしていたら他の取材が出来なくてわりに合わないという理屈は当然あるだろう.時には報道が色々な人を苦しめることに対して無自覚でいることの方が罪深いと思う.