夫婦別姓問題からつらつら考えていく

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mainichi.jp

 夫婦別姓問題について書こうと思う.

 毎日新聞の記事を読むとあたかも国民の大部分が夫婦別姓を認めているという前提の上で論じている気がする.

 事実は、日本ではまだ夫婦別姓は認めてはいない.何故日本が夫婦別姓を認めていないのかというと戸籍制度が存在するからである.

 戸籍制度の歴史をネットでたどれば古くは平安、平城と呼ばれる前からあったとされている.その目的は、徴税、徴兵のために人を把握する必要があったからである.ただし、それは都と呼ばれる地域のみであり国というものが支配できる範囲で人民を掌握したということである.

 

 現代でも戸籍は昔と同様に徴税の際の国民を把握するという意味で存在する.その点で言えば戸籍は徴税のために必要というなら夫婦別姓でも良いという話になる.更に、それに加えて同性婚などの話が一緒に議論されることになり、問題を複雑化させていく.

 

 議論はきっと分けて論じていく必要があるし、論点のすり替えなどで自分達に有利に事を進めようとする人が多いため、わかりやすくするべきだと思う.

 

 まずは、夫婦別姓で戸籍を作ることを認めるか認めないかである.認めない派の意見は、古来から伝わる姓とい伝統にこだわることが日本文化を維持していくことに必要であるだろう.日本には家系図というものがあり、古くは戸籍ができた頃から続くものがある.それは、言ってみれば日本人の歴史といえるものである.また、近年大家族が減り、夫婦2人世帯などが増えている今、家族の重要性を考えて欲しいという意図もあるだろう.家族というものを前提にするならその象徴である同姓であるというのは重要なキーポイントである.

 反対に、夫婦が同姓である必要が無いと考える人達の理由は色々である.夫婦はあくまで個人で有り独立して存在していると考える人もいれば、個人的な理由から別姓を求める人もいる.

 今回の裁判に訴えた人の理由は、女性だけに性別の変更を求めるのは女性差別だとの意見である.

 これも何故夫側の姓に変更をしなければならないのかという理屈は判る.女性側の姓にすることも可能だが、夫がそれを了解しなければならない.

 

 暫定的にこの問題を解決するため所謂玉虫色の方法として、戸籍上の姓と社会生活の姓を別にすることを国は認めている.戸籍制度を維持しながら、元の姓を使って良いという制度である.

 しかし、この方法も夫婦別姓派にとって承諾しにくいようだ.

 

 ここで、夫婦別姓についてのアンケートの結果がある.

株式会社ネクストレベル

prtimes.jp

 この結果を見ていると.個人主義を認めるということに尽きるだろう.自分は夫婦同姓を認めるが、他の人が別姓を望むのであればそういう制度で有っても良いという考えだろう.

 皆が同じ意見である必要はなく、それを望めばそれを選択できる制度があっても良いだろうという考えである.あくまでも自分の考えと他人の考えが同じで有る必要ではないという考えが根底にある.

 そういう意味で、夫婦同姓を望む考えの人は、同じ国民なら同じ考えの元行動すべきという考えが根底にあるのだと思う.日本文化の伝統を大事にするというものに根底ではつながるものである.

 伝統を大切にするために何らかのよりどころが必要であるというのは理解できる.歴史を忘れて国家は成り立たない.国を統治するには独裁国家のように嘘の歴史で有っても自分達は伝統を持ち優れた国民であると洗脳したいという極端な例もあるが、国家というものはそれで成り立っている.

 今回の問題、これからの未来がどのように変化していくかの問題でもある.色々な自由が取りざたされて国家としての体制が変化していくのは紛れもない事実である.

 極端な話、戸籍制度そのものを否定することにつながるのかもしれないが、それで社会が成り立つのなら致し方ないと言える.ただし、自由を突き詰めていくとそれと反比例し国家というものが弱体化していくのだろうと思う.