大川原化工機事件 ルール違反は?

 曇り、気温は10度。

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 朝早くは雲が多く日差しはないが、この雲も数時間後には無くなり太陽が空に鎮座しそう。そのため今日は気温が上がり夏日になる予定。

 

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 この事件、利益を得ようとしていた人間あるいはグループは誰だったのか?この件の主役は警視庁公安部だった。だから公安部の手柄を上げようという勇み足とも捉えられるわけだが、強引に違法な裏付けで起訴する手法はある意味無謀にも思える行為である。公安部内部で違法性を指摘する人間はいなかったのだろうか?更にその裏にある謎は?気になるところである。

 

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 義務教育中の生徒の髪型についてルールは曖昧である。その適用状況によっては学校ごとに変わるといって良い。その場合、何故ダメなのかきちんと説明できることが求められる。

 そして、やはり社会的ルールというものに明確な基準は無いし、ルールがあったとしてもそのルールを公然と破り他人に迷惑を被らせても何の罰則が無いために続けられるということも社会にある。

 とりわけ社会において自由という言葉がある。自由を尊重するためには他人に不自由を齎すことも厭わないことをマスコミは時に強調する。特に報道の自由はそうである。報道の自由を盾に報道を続けることで誰かが迷惑を被ることもマスコミは厭わない。だから事件の全貌を明らかにすると主張して事件関係者に取材を行い報道をするが、その中に報道されて被害を受けることもあるのも事実である。

 本日の最初に上げた大川原化工機事件も同様である。警視庁の発表をそのまま記事にし、大々的に各マスコミは報じていた。その中で事件について疑問符を付けたマスコミは存在しなかった。マスコミは少なくとも自分たちが報じた内容について一方的に伝えるのではなく本当は間違っていないのかどうか検証する必要がある。それが本当の報道だと思う。しかし、マスコミは後で事件性が無かったとしてもそれを振り返って自分たちの間違った報道を検証しようとしない。何故警視庁の発表を鵜呑みにして報道したのか反省が無い。

 そして、この校内ルールに従った服装指導だが、果たして正解はあるのだろうかという部分に疑問を感じるのである。記事では識者として教育庁義務教育課の担当者を登場させ曖昧に結論付けている。記事にするならこの件を報じた理由を述べるべきだが記者自身は見解を述べず保護者からの聞き取りを記事にしてあたかも校内ルールは不適切であると暗に主張するにとどまっている。

 ある意味この件は、全国の小中学校で常に起きることでありこの学校独自の案件でもなかったはずである。こういった件で常日頃マスコミの記事にならず曖昧なまま学校側のルールに従うことで収まっていたことだろう。

 社会で生活するうえで些細なルール違反は常に目にするようになっている。それを目にした時しゃくし定規にルールに従えと叫ぶのも却って危険な場合も存在する。そんな世の中でマスコミはルールに従えという傍らでルールを少しぐらい逸脱しても個人の自由の範囲だろうと主張する。何となく曖昧のままこの先も時間が流れていくのだろうと思う。