世界は変わる

 晴れ、気温は10度。

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 低気圧が東に去り、北から冷たい空気を含んだ高気圧が張り出してくる。今日の午後からは朝よりも気温が下がるようだ。

 

news.yahoo.co.jp

 マスコミの半分は高市政権ができることに抵抗していた感がある。それ以外は日和かそっと見守る態勢でいたように見える。それは、日本初の女性宰相を喜ぶのではなく日本にもやってきたトランプ的なものに対する畏怖のようなものがそうさせたのだろうと思う。そういったマスコミの対応と世論の空気は微妙にすれ違っているように感じるのは私だけだろうか?その大きな理由は、戦後の復興から高度経済成長時代を経験してきた世代が徐々に少なくなってきているのが原因なのだろう。

 今の働く世代の多くは戦後の民主主義教育を受けてきた世代に良くも悪くも育てられてきたわけである。その中で感じたのは権力の下に抑えられてきたという感情ではないのだろうか?そして、与えられたのはゆとり教育という罠である。自由に生きろ自由に考えろと指導されるが、その指導する側は自由を与えるというよりは彼らが築き上げた囲いの中で自由にさせたがっただけである。その囲いの中では建前は平等だが実際は自由競争の中の戦いである。

 昨日の道新の泊原発アンケートで、60代で線引きされた結果が出てきた。今日本の中で民主主義とは制限されるものとして認識されているのではないだろうか?今の世代の主流は利益を得るために手段を選ばないのが普通であるとの認識が主流なのではないだろうか?だからオレオレ詐欺から派生したトクリュウと呼ばれる犯罪も騙される方が悪い、利益を得たものが勝ちであるという認識がはびこりつつあるのも事実である。

 今まで日本が築いてきたものは瓦解してきている。その瓦解の果てにある未来は不安でしかない。それを打破するために縋りつく存在はやはり強きものである。皆に平等を解く人たちはある意味自分たちの負けを認めない負け犬であると。負け犬を助けるために民主主義はあったと。

 それらを一遍に変えようとしたのがアメリカである。自分達が利益を得るために仕組みを変える。そこにあるのは世界平和ではなくトランプ的な考えである。