ナショナリズム

 晴れ、朝6時の気温は22度と高め、昨日の夜は、雨上がりのため湿度も高かった、その熱気が朝まで抜けきらない。


 このところ、オリンピック、竹島魚釣島問題で、国の在り方が強調される出来事が続いた。これまで臭い物に蓋をする扱いが続いていた日本人が、揺り起こされた感じである。

 ナショナリズムが嵩じれば、他国間の争いが生じるのは歴史が証明している。しかし、何時までも手を付けなければ、どこまでも相手の行動がエスカレートする。今まで曲がりなりにも中国や韓国が日本に対して弱腰だったのは、国威がそれ程強くなく、軍備に金を掛けれなない状態だったからである。

 しかし、ここ数年の経済発展は、軍備にそれなりに金を掛けられるような状況になり、何時でも日本と戦争ができるという感じになってしまった。

 人が何かおもちゃのピストルでも良いが与えられると試してみたくなるのが道理である。更に動くものを与えられれば、それを動かし実際に使用したくなる。それが中国と韓国という事になる。経済発展も、その国の国民が豊かになり常識的な人間が増えると同時に、利己的な人間も増えてくる。そうなればいかようにも行動するようになる。

 中国や韓国は、日本が戦争に負けてからアメリカの言いなりに行動してきた姿を見て、日本人を誤解しているかもしれないが、窮鼠猫を噛むではないが、耐えて耐えて耐え続けて、その感情を爆発させることが美徳とされる国である。丁度赤穂浪士の討ち入りが今でも人気があることが証明している。

 何時か沸点を超えて、ある程度玉砕するまで戦いを終えない国であるという事を知っていて欲しい。そういった事を事前に他国に知っていて欲しいというのが望みであるのだが、情報が行き渡っているか知る由もない。

 そういう意味で、何かのガス抜きが必要であったこの頃で、その一つがオリンピックだったのだろう。この先、何が起こるか判らない状況に陥ってしまったが、日本が如何に生き残るか、時の指導者の役割は益々重要になって来る。