この先

西の空は真っ黒な雨雲に覆われている。小樽の方は既に雨が降っているのだろうか。後小一時間もすればここいら辺りも雨が降るのだろう。世界的な恐慌の噂におびえながら日本は、今までと変わらず動いている。それが当たり前と言うのは簡単だが、そうならざる終えないのかもしれない。お湯の中の蛙がその暑さに気づくときには既に体の半分以上が茹で上がった時かもしれない。それほど危機感が欠如しているのだろう。ある意味成るようにしか成らないというのが本当のところだし、きっと自分より偉い人が全てを解決してくれると信じているのだろう。しかし、この時代どれ程優れた指導者が日本にいるのだろう。全てに傑出した人間がいれば日本がこのような姿になることは無かった。ただ時代の波に乗りここまで来た結果が今の日本で、それが無かったばかりに何も生れてこなかったとも言える。世界の中の日本が、これ程世界の中のそのほかの国と同一の地位にあることを気付かされたわけである。更に世界であれ程目立つ国であったアメリカは、ただの張子の虎であったということが白日に晒された年でもある。この見透かされた張子の中身は無く、骨組みが見えるだけだったということに世界中が気付かされたわけである。信用という架空の根拠を頼りに莫大なお金が地球上で運用されていたわけである。その信用が根拠の無いただの紙切れだと気付いた今、世界中の人々が今手元にあるお金の価値に疑問を抱き始めたわけである。その信用を失った紙切れを幾ら見せびらかしても何の効果が得られない。そこに今たっているわけである。世界の国は、そのただの紙切れに必死になって裏づけを与えているわけである。その失った信用の変わりに国が保証を与えようとしているわけである。今、その効果はあってドルの暴落は防がれている。しかし、どこかの国が引き金を引き大量のアメリカドルを市場に放出し、他の何かに乗り換えたとしたら連鎖的にこの世界のお金は一瞬にして価値を失うだろう。その時が、本当の危機かもしれない。それを抑えようとしているのが今の現状である。もしかしたらただの紙切れになるかもしれない、ドルや米国債を懐に抱え我慢比べをしているのである。真にアメリカが今まで良い思いをするために使われた借金を、全ての国が身代わりで払わなければ成らないのである。まあこの秩序を維持する事が、今の状況を支える手っ取り早い方法である。その次に考えられるのは、ドルを基準とした世界通貨を別な方法に置き換える事だろう。そうして、ドルの借金を各国で清算する。そしてその借金をアメリカは、この先ずっと払い続けなければ成らないはずなのだが、いざと成ったら得意のちゃぶ台を引っくり返す技に出る事は間違いない。落ちぶれてもアメリカはアメリカである。