専守防衛

昨日と同様、雲ひとつ無い青空が広がっている。道端のアスファルトは、下水道から立ち上る湿り気で霜が薄っすらと白粉のように広がっている。 まだまだ根雪には遠いが、それでも少しずつ冬の様相を呈してきた。寒さが徐々に増していくのがその証拠でもある。 田母神さんの国会参考人招致があったようだ。この人の答弁を聞いていると、現役の自衛官は、上からの指揮が無くとも相手が攻めてきたら攻撃することを暗黙の了解としてもっているのだろうなと思う。 自衛官は、訓練として相手を攻撃する事を日頃行っている。決して相手が責めてきたところを如何に武器を使わずに守るかという訓練ではない。 例えば敵が上陸し、自分たちに攻撃してくれば、脊髄反射のように相手に立ち向かうように行動する事が求められているわけである。 誰もが自分の安全を第一に考えるとしたら、直前の敵を目の前にして、総理大臣の指揮命令を待って行動するだろうか?現実問題としてありえないだろう。  では実際有事の際は、現場の自衛官がその場で判断して銃や兵器を使用できるとした場合どうだろう。するとそこに政府のコントロールできない軍隊が発生する事になる。紛争が落ち着くまでは、だれも手出しできない状態となる。一種の治外法権が生れるわけである。 すると戦争の発端は、自衛官の銃の使用からという事が起き得る。それでは困るからこの場合の取り決めを議論するのは正しいことだろう。 誰か一人が、文民統制をはずれ行動しだしたら、自衛隊は、国民にとっても脅威である。その批判をかわすために政府は玉虫色の解釈をしているわけである。 例えば、世界中の人が武器を持たずにいたなら、自分も武器を持つ必要は無い。その武器を持った事が、改めて管理する必要性を産み、更に相手が武器を持って襲ってきたらどうするか等と言った備えをしなければ成らなくなる。誠にもって人間と言う生き物はという状況になるのだろう。 しかし、現実は武器を携えているわけである。それをどのようにして使い自分たちの身を守るのか、ここいらで真剣に考える必要がある。もし、武器を使用しないというなら、自衛隊の解散を含めて議論すべきだろう。