見出しに思う

 雨、平日朝から雨降りは久しぶりだと思う。どういう訳か雨降りは土日が多い気がする。気温は15度。

 今日の毎日新聞のニュースにこういう見出しがあった。

「用心棒代受領 弘道会会長ら逮捕、資金源に 愛知県警」

 なんとなく見たら愛知県警が弘道会に用心棒代を払っているかのように誤解してしまった。記事を読めば愛知県警が摘発したということなのだが、これは見出しの付け方が悪いと思う。

 ある意味読者を引っ掛ける見出しの付け方ではないだろうか?こういった見出しの最終確認は一番記者の上の人間が確認するのだろうが、それを素通りしてしたか、認めたのは、記者の能力を疑うものである。

 こんな見出しを付けるのが得意なのはやはり東スポである。駅立ち売りの新聞紙用の棚に入れる際、4つ折りにたたむ時に通る人が誤解するように一面の見出しを付けて、興味をひかせるというものだった。

 

 今回の取り上げたニュースも一面にあり折り方を考えれば、「用心棒代受領 愛知県警 | 弘道会会長ら逮捕、資金源に」と付けるところだろう。

 

 これが、一面のニュースではないためそういった意図は無いと思うが、もしこの記事の見出しを付けるならやはり、

 「愛知県警 弘道会会長ら逮捕 資金源に用心棒代受領」

 となるべきだろう。

 日本語は、文法があるようでない言語なので、主語、述語、動詞、名詞の並びを変えても意味が通る文章を作ることが出来る。わざと動詞と主語を入れ替えてみたりすることで文章に情緒を与えることが可能である。

 

 そういた中で育ったためか、相手の言葉の意味するところを忖度してしまうことが過分にあるのは事実である。その言葉の裏に隠れている相手の伝えたいことというものである。しかし、それが時には深読みであったりするし、自分が伝えたいことが却って誤解を生むこともある。

 言葉というものは、難しいものである。