例えばあなたが余命半年と言われたら。

※最初に断りを入れておきますが、私はまだ余命半年と言われておりません。

 ですが、人の運命は解りません。これを書いた次の日に交通事故にあう可能性もあります。だからこそ、余命半年と言われてどう生きるべきか考えておく必要があるのではと思うのです。でも四十六時中考えろとは言いません。

 人間は、自分の運命を知ったとき、怒り、悲しみそして悟ると言われています。またそれの繰り返し、或いは途中で思考を停止する場合もあると言われています。

 そこで、悟りを早くに得るには、日頃考える事が必要です。(悟りイコール運命の受け入れ)

 そこで、まず何をするだろうと考えます。例えば癌であったなら、それを治そうとするでしょう。
 有名な病院を探し、治療法を探し、そして怪しげな健康食品を買い漁ることでしょう。でも余命半年ですから当然進行が早い癌であろうし、症状も深刻でしょう。普通の生活を送れる状態では無いかもしれません。

 色々な病院(1箇所かもしれません)であなたは手の施しようの無い病気だと宣告され、自宅で過ごすか、病院(ホスピス)で過ごすかの選択を迫られます。そこである病院では、未承認の抗がん剤を進めてくるかもしれません。効果は20%(1年程度寿命が延びるかもしれませんが副作用もひどいかも知れません)程度ですと言われるかもしれません。人生で最後の選択です。

 癌以外で余命半年といわれるのは、心臓系、呼吸器系(肺)、肝臓系の病気でしょう。この場合、治療法は臓器移植しかありません。提供者が現れてくれる事を祈りましょう。
 
 ここまで書いてきた出来事で1,2ヶ月は過ぎてしまいます。その間、CT、MRI、PETなどの検査のフルコースを受け考える暇も無いかもしれません。後で無駄な1,2ヶ月と思い返すかもしれませんが生きようとする努力をする場合必要な場合もあります。ここまでは、主治医の医師とよく話し合って最善の方法を探るべきです。

 後残り4,5ヶ月。治る見込みが無ければ、痛みを和らげるペインクリニックを受けているか、栄養補給の点滴を受けている時期でしょう。ここでの治療は、食事が摂れないために食事の代わりですし、痛みがあっては自由に動き回れませんので必要です。痛みのコントロールが付けば、数時間は自由に外出する事が可能です。それでも痛みが強い場合、病院に入院することになる可能性が高くなります。そして程度によりますが鎮痛剤を投与してもらいベットで終日過ごす事になってしまいます。また、こうなった場合1日中眠って過ごすようになってしまう可能性も有ります。

 上手く痛みをコントロールできた場合、自分の身内のことを考える時期になります。
 それは配偶者であったり、子供のことかもしれません。
 今後のことを考えてあげる事が自分にとっても家族にとっても必要なことです。それが自分が死んだ後思うようにならないとしても、遺言やお別れの言葉なりを手紙などに残して置く必要があります。もし家族にとって非常に迷惑な事であっても、自己満足はできるはずです。少しは悟りの境地に近づくことができるでしょう。

 この頃になると、体が辛く動き回る事もできず、トイレもポータブル便器を使うかもしれませんし、ひどくなればオムツをしているかもしれません。また、自分の辛さを他の家族に向けてしまうかもしれません。また自分の不甲斐なさに涙し、家族に余計辛い思いをさせているかもしれません。
 それを抑えられるかは、自分の考え次第です。自分などは、家族にわがままを言ったり怒鳴り散らしたりしているかもしれません。そうなった場合、病院へ行くか自宅に残るかを自分で決断すべきでしょう。
 家族の方から、手に負えないので病院に連れてこられるのは悲しいものです。それが悲しいと自分で解らないほどになっている方が幸せでしょう。

 もう後、2,3ヶ月になりました。まだ、病院の中を歩けるほど体力があれば、点滴スタンドを掴みながらでも歩いた方が幸せです。この世の見納めになるのですから、病室の天井の枚数を数えていてもしょうがありません。
 この頃になると、病院にいても本当にする事がありません。TVを見てるか、廊下を歩く、毎日検温に来る看護婦さんにたわいの無い事を話、主治医の病棟廻診の時には、質問に答えるくらいでしょうか。まだ意識がハッキリしてればですが。

 残り1ヶ月、主治医に言われた余命が近づいてきます。幸運であればもう少し延びるでしょうし、不運であればもう力尽きているかもしれません。状態が落ち着いていれば、自宅での外泊を進めてくれます。家に帰っても安らぐ場所が無ければ病院にいるしかないかもしれません。

 ここまで自分の死に方を想像して書いてみて、やはり健康が一番、家族も一番大事にしなければと改めて再認識した次第です。
 健康で有ればこそ、このようなことも書き想像できるのでしょう。また、家族も仲良くなければ余命半年の間、別な苦労をするかもしれないからです。

 自分の余命半年の姿をあなたも考えて見ては如何でしょう。人それぞれ違った余命半年があるかもしれません。