「心の問題」

タイトルは、小泉首相が、靖国参拝を中国首相に批判されての答えである

 この人の答えに何ら、考えの異なる人へ心配りは何も無い。

 私の考えは、「靖国参拝は、憲法政教分離に違反している。」である。総理大臣という職務にありながら堂々と憲法違反の行いをすること自体が間違っていると思う。
 この辺りは、いろいろな解釈があるのは知っているが、靖国参拝は、憲法を変えてからするべきだと思う。変えられない今は、参拝はすべきではない。


 確かに、個人の信教の自由は、憲法で保障されている。個人の身分で神社にお参りに行くことは自由である。実際、私も、正月の初詣や観光で神社にお参りすることがある。それ自体は、何の問題も無いと思う。
 しかし、憲法を守る身である総理大臣が、その職務にある間は、信教の自由は制限されるはずである。

 もう一つ疑問なのは、靖国参拝に対する答えの根拠が「心の問題」で片付けられていることである。
 中国の批判は、内政干渉に近いものと思う。その根本にあるのは、第2次世界大戦の記憶がまだあり、それをまだお互いが引きずっていることにあるのだと思う。
 その記憶が消えない限りこの話はまだまだ続くと考えなければならない。小泉首相の思惑は、この行動によって、敗戦によってもたらされたいつまでも反省しなくてはならない国からの脱却を目指したいのだろう。世界の中の日本が、一流国として認められるために必要だと考えているのかもしれない。

 しかし、戦争を行った当事者の反省の心を持たなければ、いつまでも戦争は無くならないし、また戦争を引き起こす可能性がある。

 もし可能なら、心の問題で片付けられてしまう、靖国参拝の理由を、政教分離憲法上の解釈を含めて国民に向かって説明してほしい。それが国民に対する義務である。


 それにしても、「心の問題」で社会で生きていけるなら楽だと思う。結構自分の本音を隠しながら生きていかなければならない社会であるし、本音だけで人間関係が上手くいく世の中じゃ無いというのが実感である。

 自分がそうしたら、頑固者、変人で片付けられているところである。