靖国神社について

靖国の件は、散々小泉首相とからめ書いてきた。また書くのも何なのだが、こりもせず書くことにする。

 遠く離れた田舎もんには、もともと靖国神社など遥か遠くの存在である。そして、戦後生まれの自分としては、かかわりが有るとすれば父親とその兄弟の問題である。

 自分の父親も兵隊として召集された。その直ぐ通信部隊にいたころに終戦を迎え、無事もどり、そのまま、北海道の奥地で農家をしていた。

 父の兄弟も戦場に行き、戦死した人もいたが、家族の話題の中に靖国など一言もあがらなかった。それに父親も口数が少なかったせいか、戦争体験なども聞くこともなかった。
 
 たしか、親戚の内に泊まりに行った、小学生の頃、叔母が靖国に行った話を聞いたかもしれない。それ位だった。

以下 Wikipediaを参考

明治2年6月29日(新暦1869年8月6日)に戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創建された。
1879年に「靖国神社」に改称。同時に別格官幣社となった。戦前においては神社行政を総括した内務省ではなく、陸軍省および海軍省によって共同管理される特殊な存在であり、国家神道の象徴として捉えられていた。
戦後は政教分離政策の推進により宗教法人となり、日本政府との直接的な関係はないとされている。

このように、成り立ちは、国のために戦死したというよりは、自分たちの勝利のために戦死した兵士を慰霊する目的だったが、明治時代は、天皇が国の主権であったから、国イコール朝廷という関係になる。
そして、第2次世界大戦の戦死者を合祀する神社となり、現在に至っている。

もしこのような問題が起きなければ、時代と共にうつろい、神社としての性格も変わるのだと思う。後100年もすれば、靖国神社の存在の意味も知らない日本人が殆どになるのかも知れない。
もしかしたら、また不幸にも戦争が起これば戦死者を奉る神社として残るのかもしれない。

魂は、死ねば消えてなくなるものである。残るとすれば、親族や関係者の心の中に残るものである。その心の持ち主も亡くなれば、何時か消え去ってしまうものである。

何故、魂を神社に残し慰霊しようと思うのか、それは、死んでしまった兵士の無念が、時の政府に災いをもたらさない様にするための儀式なのだと思う。