信じる者はだまされる

人生色々なことがある。その中で一番心に傷を負うものに、信じていたものにだまされる、或いは裏切られるということがある。
 信じた自分が馬鹿だとは思うのだが、やはりそのショックは大きい。出来ることなら信じたものは何時までもピュアーで変わらぬものでいて欲しいものである。

 最近、TVをにぎわせた「あるある」問題。これも信じさせて裏切ったものだから反響が大きかった。それも公共の電波を使って大量の人を信じさせたのだからその裏切られて思いのエネルギーは巨大になったのだろう。
 
 そこで人生を長く生きると、裏切られるのは仕方ないと思うまたは思えるようになってきた。確かに信じた人に裏切られるのは非常につらいもので、若いころなら何ヶ月も悩んでいたことが、その何分の1の時間で気持ちが切り替えられるようになった。

 少し話は変わるが、信じることのメカニズムは、自分のことを理解し、話を聞いてくれるだけであると思う。たったそれだけのことである。
 人は誰しも認められたいと思っている。それが生きている上の証だからである。そこに自分の存在を認めてくれる人がいて更にその人が自分の話を聞き理解してくれることが分かった時点でその人を信じることになるのである。
 ここまでのプロセスは恋愛と同じだ。

 或いは、結婚詐欺などもその類だろう。そしてそれに近いのが、占い、霊媒、宗教になるのかな。
 それも信じるものにとってそれは真実に近い。まわりの意見に耳を貸すこともない。それしか見えない点ではすべて同じである。

 すべてを信じるなとは言わない。しかし、疑うことを忘れてはいけない。