男のけじめを通して軽さを知る。

松岡大臣が自殺し何かと話題になっているが、自分なりのけじめをつけたと言うことなのだろう。

 男のけじめのつけ方として、今回の場合どのような方法があったのだろう。

 ・全てを告白し法律に違反していれば罰を受ける。
 ・大臣を辞任、そして国会議員を辞職する。その後黙る。
 ・このまま国会終了まで知らぬ存ぜぬを押し通す。
 ・死して責任をとる。

 最後の方法が、今回のけじめだったようだ。

 それにしても、この事件を通して見える、国会議員の地位の軽さがなんとも情け無いのも事実である。
 本人の言葉と裏腹に、何を守るため死を選んだのかとは思う。或いは国会議員になった本来の目的が何だったのかが不明。こんなことをするためになった筈ではないはず。もしその目的を持たずなってしまったのならこんな不幸な出来事は無い。

 そして、その周囲の国会議員も何を目的に議員に成ったのか極めて不明。本来の目的である国民のために仕事をするのではなく、自分が国会議員にあり続けるために不正を働く或いは誰かの意見に迎合する。そんな姿を見るにつけ悲しさが漂う。
 これが国民を映す鏡だとしたら、戦後の平和は何も生み出さなかったことになる。或いは国民を劣化させただけなのかもしれない。

 それにしても安倍総理。あの軽さは、小泉さん譲りのものである。風を受けても交わす力は見事なものである。その存在感の無さが批判をもすり抜けさせているようなものである。
 誰もあの意見は、本当だと思っていないのに、急に実行に移す。その皆がまともに受けないところが力なのかもしれない。
 昔の小学生が、学級会の討議で真面目な人が提案をして、それに対する対案を出さずに聞き流していると、それが決まってしまい準備にいやいや参加するようなものである。あの時別な案を出しておけば良かったと反省してももう後戻りは出来ないような状態である。

 まあそんな状況を垣間見せてて、更に再認識させてくれたような事件であった。後、マスコミは今回の報道、以前からあったテンプレを利用して型どおりに放送してくれています。更にコメンテーターの型どおりの意見はまさに筋書きのある放送ではあります。