石屋製菓の石水社長が辞任を表明した。この人は、有る意味潔い振る舞いをする人である。地位にしがみつくことを良しとしない所があるのは、コンサドーレが問題を起こしたとき直ぐ役員を辞任するなど過去の行いからしてそうであった。
良くも悪くも石屋製菓は、社長が作った会社であり、組織としては個人商店の域を出ていなかったと言うことである。
以前も書いたが、自社のHPの中で立志伝が書かれているが、その発想は大したものである。食品の安全性をアッピールするため工場見学の施設を作りその衛生環境を公開しても恥ずかしくない体制を作るなど、進歩的な考えを持った人である。
しかし、その進歩的な考えを実際に実務に移行させる人物が社内に居なかったのだろう。社長の言葉を「本音と建前」と言う風に聞き流す体質である。
日頃留守がちな社長に代わり目を光らせる人物、さらに苦言を呈する人物が育っていなかったということである。
それは、同族経営にありがちな、黙ってついて来いという、あくまでも社員は、社長の言いなりで、自分で間違いを正すと言うような発想をもてない集まりになりがちで有る。更に言えば、正しいことをいう人物は遠ざけられ排除される仕組みに陥りがちで有る。
そのことは、北海道のどの企業にも言えることでは有る。
では、経営者が先頭に立ち会社をリードしているときにその足元の土台を支える人物はだれであろう。往々にしてそれが作り出すのは難しい。
何故なら、そのリーダーは、自分が決めなければならないという長年の習慣が身につき、更にその決断は間違いないという信念に凝り固まるきらいがあるからである。
そうなったときは、周囲の助言も聞く耳を持たずと言うことが多い。更にその下で使えるのは命令を待って動くものが大半であるため、積極的に物事をなそうとする人は既に目の上のこぶとして排除されているからである。
そういった組織は、その経営者が突然居なくなれば自ずと自然に崩壊を始める。それは船頭を失った船が母港に帰れないのと同じである。無目的に方向性をを持たず進んだ挙句座礁してしまうようなものである。
そこで迷わない方法は、新しい指導者を連れてくることである。上に述べたように、往々にして経営者は、後身を育てては居ない。後継者と言われる人は、実際何の能力も持たない人が多い。そこで外部から思い切って能力のありそうな人物をつれてくるしかない。しかし、その人物が本当に優れているかは、祈るしかない。
もう一つは、その後継者を中心とする集団指導体制をとることである。その中からよいアイデアが生まれ、その中のメンバーで各々の分野の舵取りをしていく方法である。これは実際に多くの企業で行われていることであろう。
そして、その集団指導体制の中から、トップにふさわしい人物が出てくればその人が新しい指導者になるべきだろう。
まあそれも上手く行っての話で、集団の中に派閥ができ不毛な権力闘争に明け暮れお互いに消耗して会社もろとも整理されることもありうる。
どうになるにせよ、今回の不祥事、出直しをしなければならないのは間違いなく、更に色々な不正が明らかになれば、その社長の座に固執することで更に会社の評判を落とすことになるわけで、ここは社長の決断は正しい。
暫定的に銀行の実務家が社長の地位につくらしいが、果たして結果は如何にだろう。
「白い恋人」と言うブランドのお菓子、実は北海道人は余り食さない。何故ならお土産と言う感覚が強すぎ、家庭でのおやつの品にしにくい。本州へのお土産である「白い恋人」をお互いにやり取りしないからである。
そんなお菓子会社を今後どのような展開をしていくか、コンサドーレ札幌の一人のサポータとして見守るつもりである。