年金問題

今日の話題は、何といってもこれに尽きるだろう。
 
 これは、自分たちが直接利益を得る問題なので国民的関心が強いのは明らかである。

 そもそも年金は、自分が積み立てたものを将来返して貰う制度ではない。直接返して貰うなら30年40年後物価が上昇してしまった場合。スズメの涙ほどになってしまうし、物価が下がれば巨額の年金になってしまう。そのため、時代に即した年金をもらえるように、年金支払い者の原資をもとに年金世代になった加入者に支払いを行うという制度である。
 
 簡単に言ってしまえばねずみ講のようなものである。ちょっと乱暴な言い方であるが、親ねずみにその下の代の子ネズミたちが年金額を上納する仕組みといってよい。
 ちょっと違うのは、年金の原資は一旦、基金というところにプールされその集められた資金を無駄にしないように運用して少しでも原資を増やすような仕組みになっている。

 しかし、問題は、お金を預かる側が、この原資が高度成長時代は、この後も右肩上がりに入ってくると勘違い或いは、自分たちの都合の良い様に勘違いしたといってよいのかもしれないが、幾らでも自由に使えるお金にしてしまった。
 そのため、いらない保養施設、ホテルなど使いたい放題に使い、更に自分たちの福利厚生のためにその原資を使ってしまった。それが昨今話題になった話である。

 更にそれに加え、自分たちの業務をいい加減にこなしていた事実が明らかになったのである。しかし、その責任を国民が追求しようにも、そのまちがった行いをした役人はとっくに退職しているか、何処かに天下り、だれも責任をとらずにいることなのである。

 国民の怒りは、当然誰かをスケープゴートにしなければ収まらないので、社会保険庁解体という話が現在の状況になっている。でも、良く考えてもらえば判るが現在の職員は悪くは無いのである。少しの悪いところがあれば、仕事を余りしてこない人が居たことくらいか、大きな仕組みを考え無駄な経費を使えと指示したのは、そのもっと偉いところに居た人で、その人たちにとって社会保険庁が解体しようがどうでも良いことなのである。
 本当に責任をとるべき人はそちらなのである。逆に現在の職員は、それも最近入職したような人たちは完全な被害者だといえるかもしれない。

 こういうように、本当に責任をとるべき人はいつの間にか消えてしまい、その消えた人が一番利益を得るという構造は今も昔も変わらずなのである。

 しかし、この問題を契機に、社会保険庁を解散させるだけでなく、公務員の責任というものを明確にしなければならない。
 例えば、このように不祥事が発生した場合、直接の責任が無かったとしても、その歴代の長は責任をとるようにする。もし退職していれば、退職金を返還してもらう、現職であれば懲戒解雇、これは余りにも厳罰過ぎるので、退職金を半額にするなど思い切った方策を立てなければ、この先、自分たちの利益につながるよう不正が無くならない気がする。
 そうすることで、職員が保守的になり新しい試みが出来ないと心配する向きがあるかもしれないが今までとて大したことをやって来なかったことを考えればそれ程不都合が起こるとは思えない。

 まあ何時ものように暴論になってしまったが、公務員の公僕としての使命をもう一度考えて欲しい。それだけでも本当は良いんだけれど。