選挙公示

 曇り、肌寒いと感じさせるような朝の気温である。20度以下なのは間違いない。予報ではこれから晴れる予定なので日中は暑くなるらしい。


 今日は、衆院選の公示日である。いつもなら、解散と同時に選挙に突入するため、そのエネルギーが選挙に通じていたが、今回余りにも空白期間が長いため、何時もより選挙の熱気が薄れているように感じる。

 ただ、地方選挙と異なり、国会議員選挙は、選挙カーが走るといっても、台数が限られるため表通りを流して終わる。そのため選挙が始まっても割りと静かではある。更に昨今のTVと言う媒体から視聴者が離れてしまっているため、選挙活動はかなり難しい。

 言うなればムードで投票する人が今回は増えるだろうと感じる。まさしく前回の郵政選挙と同じと考えてよい。それ程浮動票と呼ばれる有権者は、公約に関心を持たないのではないだろうか。

 郵政選挙から4年、郵便局は解体したが、それが日本に好影響を与えたかというとハッキリしない。郵政が民営化したとは言え、まだ株主は国であるし政府の管理下にある。そのため何がどの様に変化したのか国民には判りにくい構造である。

 あの日本新党が劇的勝利を果し、自民党が政権党で無くなったあと、自社さきがけ連立政権で復活を果し、自民党が長期政権を担ってきた。その間の好景気を上手く使い日本経済が上昇気流に乗るための小泉改革だったはずである。しかし、その上昇気流に必ずしも乗ることが出来ず今の日本がある。

 あの好景気が続いた時期に本当の構造改革が行おうと思えばできた。本当に小泉さんが自民党をぶち壊していたなら可能だったかもしれない。しかし、郵政改革後は、何の成果も見せず自民党内の意見の集約に追われてしまった。

 

 本当なら税金の根本的な見直しをして、複雑な税制を、消費税を核とするシンプルな税体系に変えることも可能だった。そうすれば道路税などの目的税をなくし、族議員と呼ばれるような利益誘導型の政治から脱却できたかもしれない。

 景気の良い時こそ改革が必要だったと今思えばそう思うが、景気が良い時に人は自分の行動を見直すのは難しい。竹中改革にしても、本当の改革は道半ばだったかもしれない。ただ成功していれば日本の経済は、本当にアメリカ資本が支配する国になっていたかも知れないのは確かである。この未曾有の不景気がそれにブレーキを掛けたことになる。それが日本にとって幸せだったのか不幸だったのかはその世の中になっていなかったので分からない。

 

 しかし、今回の不景気にしろ本当の危機に日本は直面していない。不景気と言っても大半の国民は食事をすることが出来る。もし本当の国難なら国民の半数が飢えて死ぬような自体に成るだろう。もしそうなら、回転寿司のレーンの上を流れている食糧を暴徒が奪いに来るはずで、そうでないのはまだ本当の危機に直面していないだけである。

 今までの不自由の無い生活が、少し不便になるだけと考えを変えれば不景気にも立ち向かえるはずである。