政治雑感

 曇空、昨日の夜に降り始めた雪は、既に道路から消えてしまった。風が時折吹くが昨日ほどでも無い。

 気温が同じでも風が吹く吹かないでこれ程体感温度が変わることを改めて実感した。

 自民党の舛添議員のニュースが朝のTVでどの局も繰り返し流れていた。総理にしたい人の1位と言うことだが、TVの露出度が高く顔が知られていると言うだけのことで、この人を総理大臣にしても良い結果は得られないだろう。

 TV番組での、評論家的発言と実際に大臣になって発言の難しさを理解したのではないだろうか。今回下野したことで、また以前と同様に評論家的発言を繰り返すことができて此の人の立ち位置が確保できたのではないだろうか。

 この人は、外野で発言する万年与党の立場が相応だと思っている。TV局もその辺りが妥当だと考えている癖に、妙に持ち上げる。

 自分たちに都合の良い人材だと考えている節があるように思うのだがどうだろう。

 TVの評論家役から議員に転向した人が数多くいるがその中で大成した人は殆んどいない。思い浮かぶとしたら蓮舫議員位のものか、社民党の福島さんもいざ党首になって更に大臣に成ったが、大臣としての働きは、TV向けにしゃべっていた事と同様に行動しているとは言えない。

 外野で相手の失敗を上げ諂うことは簡単である。自分が替りに行わなくとも誰も非難しないからである。そして顔が売れ本が売れれば食うのに困らない。

 本当にあれをやれこれをやれと言うのは本当に簡単である。しかし、実際それを形にするには組織作りから始めなければならないことをだれも理解してはいない。

 評論家達は、あの役所は、これをしなければならないと決めているが、そもそもその命令権が存在しないこともしばしばある。それを変えるためには、まず手始めに命令権を変える必要がある。それを変えるために多くの根回しを必要とするのか理解していない。

 国と国との交渉にしても、多くの人との交渉があり、それを形にする多くの人が動く必要がある。簡単にこうすれば良いと言葉にするが、それを形にするためにどれほどの無駄が発生するか判っていない。

 民主党も今その外野で発言していたことを形にするためにどれ程の事をしなければならないかと言うことに気づいた時期なのだろう。

 だから、それに気づく前に本当は一番大事な政策に手を付ける必要が有ったのだ。それでなければ根回しする間に、最初の姿は似ても似つかぬ物になり、出来上がってしまうことになる。

 だから本当は、硬直した公務員への命令権を最初に変えるべきだったのである。従来の仕組みでは、何時かまた官僚主導のレールの中に民主党そのものが走る事になるだろう。

 まあ、こんな場末のブログでほざいてみても影響力は無いことは承知しています。