予想

 晴れ、少し雲が多いので日が陰る頻度も多い。気温は、過ごしやすい温度である。

 

 今週は、中々晴れ間が続かないぐずついた天候である。本州のように最高気温が40度近くに成るよりは過ごしやすいのだが、それでも夏特有の青空が広がり、入道雲が湧き上がる景色が見たく成る。

 そしていつの間にか雷が鳴り響き、大粒の雨が降り、その後何事もなかったように青空が広がるというのが理想の夏の一日だろう。

 しかし、何やらどんよりとした雲が広がり、降る雨もしょぼしょぼと降られた日には、何か気分も湿気でジメッとしてしまうのは否めない。

 天気というのは、予想ができないものと決まっている。一日の予報は精度が高いが、それが一日一日先に伸びるほど予報は当たらなくなる。

 

 隣の部屋で焚いた線香の煙が、隣の部屋に順調に何時も流れるとは限らない。窓を開ければ空気の流れが変わり、人が歩けば又変わる、距離が離れれば離れるほどその影響を受ける要素が変わりその変数の多さで180度変化すると言って過言ではない。

 今の予報は、その変数のモデルを作り、パターン化したデータベースに当てはめて予報を出す。そのため、変動が有る無しの二択だとしても、その変数が10個もあれば直ぐにパターンは、1000個を超えてしまう。

 

 その変化の先には、雨、曇り、晴れが全て含まれることになる。一番多い答えは晴れ時々曇り時々雨という予報が一番精度が高いということになってしまうが、さすがにそういった予報を出す所はない。

 

 天候が不確かなように人生を占う事は不可能に近い。手相、姓名判断、星占いでこの先の人生を占うことができるならそれは奇跡に近いことだろう。

 もし占いが本当にあたったとしたら偶然か、占いに誘導されて人生を生きることに成る。

 人間は、不確かな物事の結果を事前に知りたがる生き物である。その事を事前に予想することで安心を得、更に希望を持つ。

 物事に白黒が有るとすれば、それを言い当てる確率は50%もあるのだから、相当な確率とも言える。更に、その白と言い当てるにしても、中間の灰色も仲間に入れてしまえば、その確率は75%にも上がるのだから、全くの黒が出ない限り占い師は安泰である。

 

 天気予報と占いを同列にするわけにはいかないが、予想は、予想で有って未来を保証するものではないことを判った上で利用するのが幸せというものである。