朝は靄がかかっていたが、今は快晴である。強い日差しは、外にいるだけで体から汗を吹き出させる熱量を含んでいる。今日も暑くなりそうである。
日本が政権交代が後、国民は色々なことが変わり生活が今までよりしやすく成る或いは、新しい気持ちで新しい朝を迎えることができると期待していたはずである。
しかし、昔のシガラミが残った状況を簡単に変えることができず、民主党政権への軽い失望を感じているのではないだろうか?本当なら、アメリカのように大統領が命令を出し、旧来の仕組みを簡単に変えることが出来れば簡単なのだろうが、その手本とすべきアメリカ自体も混迷の度合いを深めているが、ことはそう簡単ではなかったということだろう。
もし本当に日本を変えたいと思うなら、今まで同じことを繰り返してきた組織を根本から変えるべきなのだろうが、民主党の母体が自治労というお役所職員の集まりだから、その人達の仕事の流れを変えるのは容易ではない。
もし、このまま改革が挫折するようなら、国民の失望感は相当なものだろう。だからといって自民党的体質を今までさんざん見せつけられ退陣を迫った国民が再度その流れに戻ろうとするとは思えない。
それでは、国民新党の二の舞である。歴史は何度でも同じことを繰り返すというのだろうか?
今日の朝日新聞の紙面にロシア人の論説が載っていた。その中に、日本に家族は居ないという記事が載っていた。第二次世界大戦後ドイツはヨーロッパという家族のもとに戻ったが、元々家族と呼べる存在が居なかった日本は、孤独のままアメリカに追従し他の国に対しては低姿勢外交を続けたと。
全くもってその通りと思ってしまった。日本はアジアに位置するが決してアジアの一員と思っていない。アジア共栄圏と民主党の小沢さんが宣わっても国民がそれを本当に実現させようと思っていない。日本には頼るべき家族が居ない。
しかし、家族がいない日本も徐々に見知らぬ外国語を聞くことが当たり前に成って来た。好むと好まざるとに関わらず既成事実化された事実が徐々に日本を孤立した存在から変わっていくことに成るのだろう。