報道

 晴れ。気温は比較的高く今はもしかするとプラスに成っているのではないだろうか。
 昨日の夜、強い風が吹いていた。それも少し暖かさを感じさせるものだった。この強い風が上空の寒気を追いやった感じがする。
 この表現は、少し妥当ではないだろう。正しくは、上空の寒気が北へ後退したため太平洋側の暖気が北海道上空に入り込んだ形に成ったと言うべき。
 それからすると昨日の強風は、春一番と呼んで良いだろう。異論はあると思うが、この先徐々に暖かい風が吹く日が徐々に増えてくる兆しなのは間違いない。


 このblogで、度々マスコミ批判を繰り返している。この様な場末のblogのマスコミ批判など屁のようなもので、対した影響力を持たないのは承知の上である。
 更にいえば、誰にも影響の無いところで批判を繰り返す便所の落書き程度のものである。

 それに対して、マスコミと言われる、新聞、TVなどのメディアの発言は、このblogとは比較にならない人に見られている訳でその影響力は、相当なものになるだろう。
 
 その影響力を、新聞或いはTVは理解していないように思えるのである。今回のオリンピックの話題にしても、記者の好みで記事を書く、その情報の発信が見ている人にどの程度影響を与えるかを理解しているようには思えない。

 更に政治の問題に関しても、取り敢えず権力を批判する記事を書けばそれでOKの様な気になって記事を書いていないだろうか。
 例えばこのblogで書く便所の落書きのような話題も、新聞やTVが取り上げればその記事は、世界に流れることになる。
 それが本当に有益な記事、或いは番組であるかの検証も無く垂れ流されていないだろうか。
 今回オリンピックに出場した選手は、ある意味プロ選手であり、有名人ではあるが、一方その中には、まだ学生であったり、アマチュアである人達もいる。
 それが、ワイドショーの中で芸能人の様に扱われることに少し場違いな雰囲気を感じさせる。
 スポーツ選手は、自分のゴシップを売る事を商売にしているわけではない。それが本来の職業ではないのは間違いないのところなのだが、中には、その境界で生活している人がそもそも間違いで、それが却って境界をマスコミが踏み越える理由付けにされている部分がある。

 だから、ここ最近カーリング女子が注目を浴びているが、彼女たちは、今日本で報道されている様を知らない。彼女たちの顔がアップでTV画面や新聞の一面を飾っていることを知らない。

 自分たちが知らない内に、個人情報が明らかにされ全国で知らない人が居ない状況に成っているわけで、日本に帰国した際の状況の変化に驚かされることだろう。
 ただし、これによって多大な利益を得ることもあるだろうし、誰にでもしられたことによる不利益も当然受けることになる。

 ある意味、人の人生を大きく変えるイベントであり、それを報道する人たちの良識を信じるしか無い状況とも言える。
 
 TV画面や、新聞や雑誌の記事で一瞬の面白さを感じたときに感じるこの裏に潜む冷たさが、心のなかに吹き込む冷気の様に感じる時がある。それは、人間が誰もが持つ冷酷さの一つなのだろう。