曇り、気温は相変わらず低いがマイナス10度というところだろうか、顔に寒さが突き刺さる程でもない。雪も昨日の夜中には止んだ。


 ここ数日降り続いた雪で路面は轍になり、除雪された雪は道の両脇に山のように積み上げられている。これを排雪するコストは相当な労力と資金が必要である。

 

 今のように除雪体制が整わなかった時代、降り積もった雪が踏み固められ人が歩くだけの道しかなく、たまにブルトーザーが道路の雪を道の両脇に積み重ねて終わりという時代があった。街中も、排雪という概念が無く道の両脇に積み重ねられ壁のようになっていた時代があった。

 それと比較すれば格段に便利になりすぎたのかもしれない。そのため僅かに家の前に雪を残していけば市に苦情の電話が行き、道路わきの雪山も排雪されなければ納得しない時代になってしまった。一度快適な環境を味わえばそれを元に戻すことは不可能である。

 北海道の都市設計は、冬の時期に対応したものにしていかなければならないだろう。家と家との間の生活道路は、除雪のための雪置き場として広く取られる必要があるし、家と家の間には必ずある程度のスペースを取る必要がある。

 これ程広大な土地があるのに、北海道の都市部の一戸当たりの土地面積は都会と変わらない。生活道路も本州の基準に合わせて片側一車線の交互通行ができる広さで作られている。これは、北海道の冬の事情を考えていない作りである。

 何故それが出来なかったかと言えば、日本という国の支配者層の中に北海道の冬を経験した人間がいなかったということである。ある意味北海道は、日本政府にとって未開の土地という認識しかなかった。

 そのため、北海道を開発するという意識の元に、北海道開拓庁ができ開拓使という職業があったのである。北海道は、あくまで開拓される土地として存在したのである。

 もし、北海道が一つの国であったら、冬の間を快適に過ごすための街づくりという発想が初めからあっただろう。そういった意味で、広大な土地を上手く使わずにいつの間にか街が出来上がってしまったといえる。

 さて今後の北海道の暮らしはどうなるのだろうか?一説では世界のエネルギー事情は激変する。更に今より確実に日本人の所得は減少し、石油価格も高騰するだろう。その時に北海道の冬を過ごすことが果たしてできるだろうか?

 当然、この雪山を排雪することは不可能になるかもしれない。それでも過ごすことのできる環境を安価に手に入れる方策を今から考えていかなければならないのは間違いない。