医療崩壊

 晴れ、朝日がまぶしい。風は冷たいが太陽の日差しがそれを和らげる。気温は、零下だがマイナス1,2度程度だろうか。

 

 今日は、医療の問題を書く。

 医療崩壊が言われて久しい。それが言われ始めたのはいつ頃かと考えてみれば、決定的になったのはやはりバブル崩壊後のことである。

 国民の医療費が老齢化社会の到来とともに徐々に国の財政に占める割合が増え、将来的な国の負担増を見据え、医療費の削減を旗印に時の小泉政権は、医療費の縮小を目指した。

 

 これは国民に医療費負担を求めるとともに、病院の統廃合を含めた整理を促し、さらに競争原理によるビジネスライク化した医療を目指すことに他ならなかった。

 これ以前に、医療は商売と同様に考える思想が医療界を席巻した。「お客様は神様」ならぬ「患者様は神様」という発想である。そして患者を患者様と呼び始めるようになった。

 それは、医療を商売に見立てサービス第一の医療を目指すべきという発想であった。

 これは、まさしく病院経営にコンサルティング会社が入り始めた結果だろうと思う。この発想は、正しくもあり間違ってもいる。

 医療はあくまで病気の人間を治療する場である。医療というサービスを提供する場であるが、それ以上のサービスを提供する場ではない。主体は医療であるが、徐々にその医療を飛び越え、その場所を提供するサービス業を行っていると拡大解釈するようになってしまった。

 医療サービスに付帯して最低限のサービスは必要である。医療は人と人とのコミュニケーションが必要であるので、お互い不信感を持つようでは医療行為は行えない。この基本は、どの分野でも必要である。しかし、過剰なまでのサービスや、おもてなしをするという発想は、医療人に対して医療行為以外の部分に時間を割かざる負えない部分が出てきた。

 患者本位の医療という言葉は、耳触りが良いがそれを維持するために医療人が疲弊しては適切な医療を行うことは困難になる。

 

 病院がサービス業と言われ始めたと同時に、患者が病院を選択するという風潮が生まれ始めた。選択は当然だが、それが当たり前に語られるところに問題が生じる。

 選択することは自由だが、それを頻繁に行うことでさらに医療費は増加する。同じ検査を複数の病院で行えば当然重複した請求が発生する。さらに薬も同様に種類が増えることになり、医療費を負担する人たちの負担額が徐々に増加する。

 しかし今の医師にも問題がある。まさしく投資した金の回収を目的とする医師が増えた。今の多くの医師は、開業医を主体とする実業家か、雇われを是とするサラリーマンに二極化した部分がある。

 

 開業医は、自分の生活を良くするという思いから収入の確保を優先する。病院勤務医は、自分の得られる報酬の範囲で勤務することを目指す。

 そこに何のために医師になったのか本来の思いが希薄化してしまい。日々、医療という行為を流れ作業のようにこなしていくことが目的となってしまう状況である。本来の医療という志を放棄して医療行為を行っている医師も見受けられる。

 

 ではどうすれば良いのだろうか?

 まず初めにするべきことは、医師に本来の医師になった理念を思い起こさせるべきだろう。それは、医師に命令しても埒が明かない。

 それをするには、患者も含めた地域住民の志が必要である。ともに良好な関係を気付きあげる必要がある。その一つの方法は、感謝の気持ちを医師に対して表すことである。医師も一人の人間である。自分の行った行為に対して感謝されれば、自分の仕事に誇りを持つことができる。その感謝を表すことは簡単だろう。

 さらに、お互いに報酬のやり取りを行うが、決してサービスを提供しているという考えを取り払うことである。これを取り払うのは容易ではないだろう。

 

 医療がサービスではないというのは、病院にいって自分の好きなように検査を選び治療を指図できるものではないからである。患者自らそれを行うならそれはサービスの提供を受ける客の立場と言えるが、医療はそうではなく、自分でそのサービスを選択することはできない。治療行為という名のもとに自分の体を委ねる立場になることである。

 その場合、患者は客の立場では到底なく、まさしく医療を受ける立場、いうなれば生徒の立場ともいえる。先生から教えられそれを自分で解釈する立場である。その部分にサービスは存在しない。

 医療崩壊は、間違った考えが広まり、色々な状況が重なりこのような現状を招いていると言って過言ではない。医療は商売以前に恩情の世界である。それ相応の報酬が無くては、仕事はできないが過剰な報酬は必要としないはずである。その中で医療を行うためには、やはりお互いに愛情が無ければ成り立たない。

 一度崩れ去ったものをまた作り上げるには、それ相応のエネルギーと時間が必要である。この震災を機に本気で考える良い時期と言える。