日本社会

 曇り、気温はまだ鼻毛が凍りつかないことからマイナス10度程度と思われる。今日は、日本海側を中心に吹雪くそうである。このような日に車を運転するのは非常に怖い思いをする。自分が安全運転をしていても貰い事故は起きるので、危ないと思った時はちょっと休憩するくらいの気持ちの余裕が必要だろう。


 新年から余り明るい話題が無い。これも日本が成熟した社会になりそろそろ国自体が老齢期を迎えたことによる影響が大きいだろう。

 それは日本人自体の平均年齢が上がり高齢化社会を迎えた時期と一致してしまうためより一層その影響が色濃く出てしまっているのである。

 その一つが、現役世代の年齢が上がり若い人が力を発揮できる場所が少なくなってきてしまっていることである。どうしても年齢が高くなれば、考え方が保守的に成り、見通す未来のスパンがどうしても短くなってしまう。そのため目先の変動に敏感になりすぎリスクを怖れるようになる。

 リスクがあったとしてもそれを乗り越えるために働かなくてはならない期間は、それ程長くないのに、その期間がとてつもなく長く感じるわけである。それが日本全体で起こり徐々に安全な方向に舵を取ろうとするのだが、その安全と思われるかじ取りが安全ではないことが間々あるわけである。

 更にその高齢化の影響は、社会の仕組みを徐々に硬直化させている。その一つが世襲の問題である。権力を持てば持つほどその権力を手放すことに躊躇する。そしてその権力を渡す際に能力ではなく血縁を重要視する。それは、一度は成功するかもしれないが、二度三度と上手く続くことは確立として有りえない。そのために企業本来の活動よりかその後継争いに力を注ぐために本業をおろそかにする結果となる。

 また、世襲は競争の機会を奪うことになる。誰でもが企業のトップを目指せる社会ではなくなり、一つの歯車としての仕事で、何か大きな力を生み出すことが可能だろうか?それは不可能なことである。

 大きな力を生み出すためには、やはり犠牲が伴う、全ての人が幸せと思うような社会は、競争社会では生まれない。どこかに敗者が必ず生まれるからである。もし全ての人の生活を保障するならそこにあるのは共産主義の国家を目指すことになるが、今までの共産主義国家の末路を見ればわかるように、そこに起こるのはやはり別な権力闘争である。

 人が集団化すればするほど権力を争うことは必ず起こる。その権力闘争をフェアーに行おうとするなら、その闘争を正当に行うための運営を行う国の存在は大きいわけである。

 今の日本の権力は、老人が握っていると言って過言ではない。その権力者たちも次第に老い、この世を去っていくことは間違いない。その前に老いた権力者たちが力を失う前に必ず世代間の争いが起きるだろう。その争いを是とするか否とするか、今徐々に始まっていると思う。