東電

 晴れ。薄曇りに近い。気温はマイナス5度以下に下がっている。今日で3月は最後の日、明日から4月になり春がやってくる。


引用 スポニチ(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/31/kiji/K20110331000535660.html

東電会長 社長入院、急きょ代役で認めた「廃炉」

東京電力の勝俣恒久会長(71)が30日、東京都千代田区の本店で会見し、東日本大震災で事故が起きた福島第1原発の1〜4号機について「廃止せざるを得ない」と明言した。東電首脳が福島原発の廃炉を表明したのは初めて。清水正孝社長(66)が前日29日夜に緊急入院したため、勝俣会長が急きょ陣頭指揮を代行するという異例の事態に陥っている。

 勝俣会長は、青い作業服姿で6人の経営幹部を従え、フラッシュから目をそらすように歩いて着席。事故に関し「建屋の爆発や放射性物質の流出などで皆さまにご不安とご心配、ご迷惑をおかけし、おわび申し上げます」と述べ、深々と頭を下げた。

 
 陣頭指揮に立つべき人間が、事故後早々と体調不良を訴え入院する状態は、好ましくなくさらにその代りに会長が立つそのありように、東京電力の社内の体制が如何に殿様商売をしていたのかがわかるニュースである。公益企業として地域寡占状態で会社があると土台まで腐ってしまう。この状況を国は見て見ぬふりをして会社を存続させてきたわけである。この罪は重い。

引用 東京新聞http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011033102000031.html) 

東電、原発事業縮小へ 新設計画も「困難」
2011年3月31日 朝刊

 東日本大震災の発生から三週間近く。東京電力の事実上の経営トップ、勝俣恒久会長(71)が三十日、ようやく記者会見し、壊滅的な被害を受けた福島第一原発1〜4号機の廃炉や復旧作業が長期化する見通しを示した。今回の事故で、同社の原発事業が大幅な後退を余儀なくされることも認め、東電を待ち受ける厳しい道を表す会見となった。

 「廃止せざるを得ない」。病気で入院した清水正孝社長に代わり登場した勝俣会長は、早い段階から不可避とみられていた1〜4号機の廃炉を淡々とした口調で明言した。

 裏を返せば、外部電源が復旧し、安定した状態に入った5、6号機は存続させたい意向と取れるが、枝野幸男官房長官は同日、5、6号機の廃炉も不可避との認識を表明。そうなれば、ちょうど四十年前の一九七一年に営業運転を始めた1号機に始まり、七九年までに続々と営業運転を開始し、計四百七十万キロワットの出力で同社の業績と首都圏の電力供給を支えてきた福島第一原発がすべて“消滅”することになる。

 「東電は、国が結局てこ入れし、時期が来たらまた民営化するしかない」。ある政府関係者が語るように、東電国有化の可能性が、政治筋ではささやかれる。住民や企業などへの損害賠償や、福島第一原発の廃炉作業、不足する電力を補うための発電設備増強など、巨額の費用負担が東電を待ち受けている。

 上記のように、今後東京電力は国営化されることになるのだろう。それが明らかになったところでマスコミ各社が漸く「スポンサー様」という呪縛が解け、追及が激化するのだろう。
 今までの、スポンサーとして巨額の費用を出してくれ、さらに放送のための電力供給を担ってくれた企業に対しておいそれと立てつくことはできなかった。それが、今後スポンサーになりえないと分かった時点で手のひら返しとなったわけである。
 今までの恩義など微塵も感じさせない豹変ぶりをTV桟敷で観戦するのも一興だろう。

 しかし、安価なエネルギーとして、さらに自然環境にやさしいエコなエネルギーとして国を挙げて推進してきた原発事業だが、この先どのようになるか不透明である。

 事故発生後にも書いたが、速やかな事故処理で日本の技術力を見せつけて欲しいと願ったがそれは叶わなかった。国、福島県、そして多くの避難者に対し多大な損害を与え、さらに環境被害を残してしまった。この先の復旧作業、廃炉にする期間、および費用を考えれば、とても安価なエネルギーではない。

 今まで、ローコストで稼いできた蓄えも、この事故で全てが吹っ飛び、さらに負債を背負ってしまった。これは東京電力に限らず他の地域の電力会社にも大きな負担を背負わせている。

 安全神話は、事故が起きても速やかに復旧させ数日後に何事もなかったような状態に戻せてこそ安全である。そういった仕組みにするには、原子力発電所に掛ける費用は、莫大である。
 24時間フル稼働させるがゆえに、電力は流れ続け、そのために電気を消費し続けなければならない。それが宿命のように日本人の背中に背負わされ、夜中でも煌々と明かりをつけ、いたるところに無人の自動販売機が立ち並び、24時間眠らない街を作り上げてきた。

 まさしく日本の今までの過剰なまでの発展を支えてきたと言ってよい。それが一つの地震により、正体を暴かれたということである。

 今この国のエネルギー政策をどうするか国民も冷静にこの問題を考えることができる環境になったともいえる。

 一つこの問題を考える材料の一つは、この原子力発電所に掛かった費用である。電力を生み出すコストが本当に一番安いのかということである。
 確かに安全性のレベルを下げ、それに対応した状態で何事もなく運転できれば安いものかもしれない。しかし、ひとたびこのような災害に見舞われれば、誠に扱いが難しく、対応に苦慮するものは無い。その応急時の費用を加算すれば国家レベルの費用が必要になってくる。

 もし今後、原子力発電をエネルギー政策の中心に据えるなら、民間企業に任せるのではなく、国の事業として行うレベルのものになるだろう。

 なぜなら、福島原発だけの事故でこれだけの被害が発生した。如何に原子力発電所の弱点が露わになった。原子力発電所の送電を止め自家発電装置を止めてしまえば簡単にメルトダウンするのだから、もし同じ方法でテロ組織が日本の数か所の原子力発電所に攻撃を加えれば、日本の国家機能は簡単にマヒするだろう。これが国家間の戦争だとしたら戦う前に負けが決まってしまうことになる。全くもって安全保障上の重要課題でもある。

 時代は、その風向きをくるくる変える。その風向きを見ながら自分たちの方向を見定めなければならない。そのためには、国民のかじ取りをしてくれる政府が必要であるのは間違いないところだろう。