白黒

 晴れ、少し風がある。気温もマイナス10度以下だろう。相変わらずの寒さである。こうも寒さが続くと、全てのものが内部まで凍結してしまう。

 寒いのには、徐々に慣れては来ているが、この寒さはいつまで続くのだろうかと心配になるが、いつの間にか2月になってしまった。この分だといつの間にか3月になり、4月になり、今度は夏の暑さに文句を言うようになる。

 人間は本当に単純である。まさに喉元過ぎれば熱さ忘れるである。


 人間は、コンピュータ社会になり生き方が変わってきているのかもしれない。kんぴゅーたの画面は、何時も選択は「はい」「いいえ」のどちらかである。

 そこに曖昧さは存在しない。

 その環境に慣れてしまえば、何時も人に問いかけるときは、二者選択問題の問いかけとなる。

 その時々で、曖昧さは許されない。何時も答えはやる、やらないである。返事を濁せば優柔不断と攻められる。

 だけれども、簡単に答えを導き出せれば簡単だが、やはりそれなりの準備期間が必要であり、物事は「はい」と言ったとしてもある程度の柔軟性をもたせ、あるレベルでは「いいえ」にしなければならないときもある。

 そのファジーさを持たなければ社会は成り立たない。しかし、その反対方向へ向かおうとしているのは間違いないところではある。

 沖縄の問題も、賛成反対の意見が渦巻く中で、簡単に白黒はつけられない。そこは妥協の産物で基地を受け入れてきたに過ぎない。

 

 その中で、灰色のままうやむやにすることでここまで基地問題を引っ張ってきたのである。

 その灰色のうやむやしたところを決着をつけるというのだから大変なことである。今まで表に出なかった人たちもどちらだと意見表明を求められる。

 

 内心は別でも、反対の意見を言う必要な場合もある。それがまた色々な混乱をまた呼び起こすことになる。

 やってしまった後、どうしてそうしたという問題に必ずなるのは必至である。それがまた波乱の種となる。

 でも、コンピューター社会に曖昧さを持ち込んだらプログラムは動かなくなるだろう。