参議院選挙が終わり

 晴れ。気温は、朝方のひんやりした空気から太陽が昇るとともに急激に上昇し始めた。

 日曜日に参議院選挙も終わり、月曜は、その結果の総括を放送していた。その総括の切り口に何の目新しさも無く、マスコミは何を国民に訴えるため番組を作っているのか明確に自分たちの意思を表していないように感じた。

 放送は、公共のためのものという大義名分があるが、選挙報道のどこにそれを見つけるのかが使命と思うが、それに準じて放送していた局は、あったのだろうか。

 選挙結果については、政局をくるくる変えるような状況に無い。それは、その時代の空気のようなものである。民主党政権を国民が支持したのは、時代の閉塞感を劇的に変えるには、今まで自民党という一党独裁のような政治システムを根本的に破壊するしかないと考えたからである。

 ただ、その期待の新人、民主党は、素人の集まりでしか無く政党としての政策立案、実行能力が根本的に不足していたのである。そして、不幸なことに東日本の大震災があり、福島の原発の事故が生じた訳である。

 その間、日本の経済はどんどん悪化していき、未来への不安を国民は募らせてきたのである。その不安自体は、将来起こりうる不安であり、今現時点でその状況に無いのにもかかわらず、国民の気持ちが委縮し始めた時に衆議院選挙があり参議院選挙が有った。

 国民にとって将来の不安を解消するためには、やはり何らかの安定したよりどころが欲しかった。そのよりどころが自民党であった。自民党が全ての問題を解決してくれる党では決してない。それは誰の目にも明らかであるのだが、自民党に代わって政権を担当できる政党が無い、更に政権が不安定になりまた、民主党政権時代の混乱を生じさせても不味いという考えが国民の投票行動に大いに影響を与えたのである。

 今後、消費税が上がり、金持ちと低所得層の差が広がり、更に中流と言われた層も平均的に所得が下がる時代が訪れようとしている。金持ちが金持ちで居られるようにという潮流は変化しないだろう。ある特定の層に権力の集中と富の集中が始まるだろう。そのある特定層に自分も仲間入りしたいと考える人間が増えて行くだろう。

 人は、そういった甘い汁に群がり勝ち馬に乗ろうとする性質がある。それは、まさしく斜陽に向かう社会の常識である。そして国全体が貧しくなれば、今度はその階級構造を根本から変えて行こうという勢力の勢いが増してくる。

 

 今回の自民党の大勝利は、国全体の行く末を静かに見つめるための長いか短いか判らないプラトーの時期に突入したと言える。この先の変動がどちらに向かうのか、更に周辺諸国の情勢と緊密に関係してくる。その変化は、誰も予想できない時代に入っているのだという事である。