下町ロケットの物足りなさ

新年あけましておめでとうございます。

曇り、気温はマイナス5度。

 

 12月の29日から昨日まで年末年始の休みを取り、今日から仕事始めである。新しい年になったからと言って何かが大きく変わることは無い。しかし、新しくなることが無い代わりに今まで築いてきたものを維持していく困難さに気持ちは少し落ち込んでいると言って良い。

 

 ドラマ「下町ロケット」のスペシャル版が正月に放送されていたが、あれをどう思うか人それぞれだったと思う。勧善懲悪的なドラマを期待していたなら何となく不完全燃焼に感じた人も多かったのではないだろうか?

 原作の作者が、企業の姿を描く小説を多く描いているため、本当の会社とはという丁度企業セミナーで話されるような話になるのは致し方ないところである。

 本来企業の理念は、会社の繁栄を目的とするのではなく社会に如何に貢献するかが大事であり、それなくしては企業は存続できないというのが、良く語られることであるからである。

 今回の解決方法は、理想の会社の在り方を説いているわけである。しかし、現実社会で働いているサラリーマンにとっては、やはりあれは綺麗ごとをなぞっているようにも見えるのではないだろうか。

 本来、企業の社会貢献は、大きな企業になればなるほど社会の中では当たり前の出来事のように思われており、あまり世間に関心を持たれることは無い。だから、社会貢献の様子を広告などでわざわざアッピールする場合も出てくる。

 有名企業にとって社会貢献は当たり前に行われているため、それは特別なこととみなされていないので、他社と差別化できないのも事実である。しかし、社会にとって自分たちが購入するものが何かの役にたつ、あるいは消費者個人でできないことを大企業が代わりに行ってもらえるような仕組みがあることが社会が回っているということになる。

 

 そこでまた下町ロケットの話に戻るが、もしかすると普通の社会では、相手の失策を好機ととらえ特許を渡さない代わりにギアゴーストを傘下に収めたり、あるいはあの競争相手であるダーウィンプロジェクトを乗っ取ることも可能であった。

 実社会では、重役の的場のような行動が称賛される組織もあっただろう。現実に、アメリカの大手IT企業がこれから伸びるであろうサービスに対して買収工作を仕掛けたり相手を蹴落としたりするのは当たり前のように行われ、今回のようにライバル企業に特許の仕様を認めることは、余り無いのかもしれない。

 

 今回のシリーズで思うのは、佃製作所が企業として生き残れたのは、たまたまだったかもしれない。帝国重工の社内に佃製作所シンバが存在したから上手くいったのであってたまたま存続の危機を迎えなかっただけで、まかり間違えばリストラなどの策を取らざる負えない結末もありえただろう。

 色々な場面で社員が解決策を見出してくれ、スペシャルな技術者が社員として加わってくれるなどという幸運があったから上手く乗り越えられたと思われる。

 大企業と下請け、昭和の時代にあった系列という考えも平成に入り大きく変わり、安いものを仕入れるという考えのもと系列を無くした会社も出てきており、日本的な会社関係というものは大きく転換している。大企業の振る舞い一つで下請けが倒産することも当たり前のことである。

 

 今回のドラマが、少し物足りなかったのは、やはりストーリーが企業の在り方を問うために佃製作所が選ばれたことにある。一つの理想の姿を見せるために悪を悪として見せるために上面を見せようとしすぎたかもしれない。善として見える行動も(台風に備えた稲刈りキャラバン)裏を返せば企業の社会貢献を行っている姿を見せる広報の役割を担ったものともいえる。

 

 一つの企業が栄えれば、その陰で一つの企業が消えていく、それが現実の姿だとサラリーマンは知っている。