表裏

 晴れ、気温10度。初秋というより秋真っ只中になってきた。

 

 良くある話で、事件が起きた時、まさかあの人がというのがある。まさかの人がどうしてこんなことをしてしまったのだろうというアレである。見るからに事件を起こしそうな人は、そういった事を起こすぞと自分を誇示しているから周りも用心するし、何か事を起こせば、そうだろうと納得されるし、身に覚えのないことも彼奴がやったと濡れ衣を着せられることも有ったりする。

 しかし、外見が普通で、人付き合いもそこそこしていれば、世間ではまさかあの人がという事に成る。それが人間の見る目の無さなのだろう。

 物を買うにしても、人間は目に映る部分で第一判断をする。見栄えが良ければ中身に異常があることを知らずに手に取ってしまう。見るからにグロテスクで如何にも危険そうなものには手を伸ばさない。

 しかし、この世に存在する人間の全てには裏表が存在する。その心は複雑である。だからあの人がまさかという表現が生まれるのである。

 自分自身も表裏があることを自覚している。それが当たり前だと思うまで、まだ純粋だったころその心の在り方に苦悩するわけである。人間には表裏が無いと信じているからである。

 まあ、それ程単純化できることではないが、そういった人の表裏を見続けることで人間というのは変わるという事を知って行くのである。

 

 そういった経験をしながらも尚、人を信じることができるようになれば一人前の大人というやつなのだろう。信じることは何事も大切であり、もしかしたら裏切られるかもしれないという可能性があることを予想しながらも、共同で作業する場合必要だからである。

 物事を単純に信じられる人は、ある意味善人と呼ばれる人であるだろうし、常日頃相手を裏切るという経験をしていないか、或いは他人を裏切ることをしていてもそれに自分では気付かない人なのかもしれない。

 人は、自分に正直であろうとする。そうして思うように正直に生きていければそれに越したことは無い。