年始

 曇り、気温はマイナス7度。

 仕事納めから仕事始めまできっちり休みを取ったわけであるが、やはり仕事が始まるというのはそれなりにきついものである。

 年末年始の過ごし方も徐々に変化してきた。それは自分も併せて周りの人間が一つずつ年を重ねるからである。今まで一緒に正月を祝っていた人間が去り新しい人が加わるという変化である。

 それは、少なからず立位置が変化しているという事にもつながる。人間何時までも若い体を維持できるわけでもなく徐々に衰えていくものであり、社会的地位も変化を続ける。更に社会環境の変化も当然起こるものである。

 今まで過ごして来た環境が何時までも続くわけでは無く、周囲の環境に合わせ変化を強いられる。変化の無いものはこの世には皆無である。変化を求め無いものは、この世から淘汰されていく。それは伝統と呼ばれるものが環境に合わせ変化させられているからである。普遍は無い。


 環境の変化に敏感で無ければならない業界の一つにテレビ放送がある。その時代の変化に対応し、時には時流を変えるべき存在であったテレビ局の衰退が激しいと感じた。何故なら常に視聴者に訴えなければ視聴率を稼げないし、それを維持することでスポンサーも金を出す。

 しかし、作り手が敏感で無いのかもしれないが、常に自分たちで新しいものを作ろうとしない。正月の番組も新しいものでなく、毎年やっているから同じ流れで番組作りをしようとする。更に、2匹目、3匹目のどじょうを狙い過ぎてどこかで見たようなものしか作れない。

 だから一日中テレビを見るという日本人の習慣がが終わったことをテレビを作る側が知らないか、或いは知っていても既に自分たちがそれを変えようと思っていないのだろう。もしかすると自分たちから率先してテレビを見ないでネット環境に身を委ねているとしか思えない。

 こういった現象はテレビ局だけに限らない。多くの日本の企業も同じように時代と言う流れに追いついて行かないあるいは行けないところが目立ち始めている。

 一人の人が係ることのできる時間は有限である。それと同じように企業が係ることのできる時間も有限である。何時しか終わりを迎える。その生き延びる寿命は、人間と同じように環境によって変化する。その長さが一定では無く長い所もあれば短い所もある。その長さを競うのではなく絶えず生まれ変わることが時代の変化に付いて行くコツのようなものだろうと思う。