大荒れの天気らしいが

 曇り、気温はマイナス11度。

 今日は道内は大荒れとテレビの天気予報では報じているが、天気図の等圧線の幅を見るとそれほど強烈な風は吹かなそうだし、吹くとしても一時的なもののように見える。天気予報を信じてもし大荒れの天気になり被害が発生した場合の保険のようにも思える。

 この程度の天気で大荒れを予報するのなら冬の日の半分は大荒れと予報しなければならなくなると思う。この辺り天気予報を業とする人たちの難しいところなのだろう。

 東京あたりのところであれば、雨の予報が外れたとしてもたいした被害は被らない。余程の大雨で洪水が起こり流されるような被害が発生しない限りである。ただし、ゲリラ豪雨もあるのであれだが、北海道の場合、一端荒れて大吹雪になれば視界不良の交通事故や、道路が地吹雪で埋まってしまうような事態が簡単に起きてしまう。

 昔ならそれも生活の一部で、起きることがあるのを前提に生活をしてきた。その生活が当たり前でいつ何時何かが起きることを考えながら暮らしていたので気にならなかったといえる。

 しかし、今の時代道路は除雪され都会ではロードヒーティングや地下歩道というように雪で生活が困るといった状況に慣れてしまい、北海道どこにでもそういった楽な暮らしができるというような経験不足の人が生活するようになると、昔なら数日我慢すれば元の生活に戻るだろうといったのんびりした考えは特異的で、いつでもすぐに便利な生活ができないと困ると考える人が増えてしまったのだろうと思う。

 だからもし、生まれが北海道で更に厳しい土地で生まれて生活してきた人にとって北海道の冬はこんなものと思っている人は、天気予報が何と言おうとも自分の経験で暮らしてきたから多少の変化は織り込み済みだった。自分も冬の通学時に吹雪の道路の吹き溜まりを冒険のように楽しんだ口なので、多少の吹雪など気にしないでいるのだが、その部分を経験していなくまるっきり耐性ができていない人なら一冬で北海道の厳しさにへこたれて逃げ帰ってしまうだろうと思う。

 やはり経験値というものは貴重なものである。何度か危ないことを経験すればそれが平気だと思わせるものがあるのだし、ある意味それが生活の醍醐味みたいなものになる。慣れとは恐ろしいものでもある。

 また最初に戻るが、これくらいの天気を大荒れと予想するのなら何年かに一度起きる本当の大荒れの時はどんな予報をするのだろうか?