年の瀬は物騒

長崎の事件

 14日午後7時15分ごろ、長崎県佐世保市名切町のスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」に迷彩服を着た男が侵入し、散弾銃を乱射した。クラブの従業員ら2人が撃たれ死亡、子供を含む会員ら6人が負傷した。男は銃を持ったまま逃走したとみられ、県警は佐世保署に殺人容疑で捜査本部を設置し、緊急配備して行方を追っている。



 最近、やはりというべきか銃の使用による犯罪が増加している。ある意味当然の結果といえる。
 戦争に負けた日本は、占領軍により銃器を没収された。それは刀狩ともいえるものだった。また、暴力団の構成員も戦争に借り出されていたため銃を所有する人間の絶対数も少なかった。そして、これ以上戦わなくて良いという気持ちが国民に銃を捨て去ることで開放される喜びを知ったのかもしれない。

 しかし、それは一時のことであった。朝鮮戦争が起り、自衛隊が国内にでき、更に山口組などの暴力団が組織され始め、徐々にその気分は薄らいでくる。
 更に、他の地域で紛争がなくならないために、銃の製造が続き、世界中に銃器があふれ、需要があれば何時でもそこに供給される体制ができてしまった。

 また、銃の国内の持込を監視する組織が警察だったとしても、その機能は充分ではない。水際で防ぐための組織やknow-howの構築をしてこなかったからである。
 また日本の全海岸線を警備するのは人の力で行うのは困難なのはわかっているはずなのに何も手を打ってこなかったし、できなかった。

 日本国内に銃器はあふれ始め、一般人にも手に入る状況になり始めたのはつい最近である。もうこの銃余りの状況は、思い切った手を使わなければ防ぎようがないのは明らかである。

 ではどうするか。やはり刀狩をするしかないないだろう。それをしなければ、アメリカのように銃には銃ということになりかねない。

 今後も、もっと銃を使った犯罪は起るだろう。それは、国民の一人一人が背後を気にしなければ通りを歩けないと言うことである。そんな社会を是とするのか国民が判断しなければならない。