今しがた空のたらいを引っくり返したような雨が降っていたと思ったら、既に小降りになっていた。遠くの空では、空気を震わす音を立てて雷が落ちているようだ。
 まさしく夏の雨らしい。そんなことを言っていられるのも、自分が洪水に見舞われることが無い土地に住んでいるからだろう。
 これが、低地であったり、崖の上、崖の下に住んでいたのならこうは行かなかっただろう。

 日本に雨は付き物で、雨を呼んだ俳句や詩、歌がある。それは常に悲しい風景が付きまとっている感じがする。

 雨を代表する歌といえば、自分の世代では、色々な演歌の曲が浮かんでくる。それはやはり雨の中、一人傘を差し恋人を待つ或いは待っている情景である。
 
 また、童謡にも雨を詠った歌がある。あの「雨雨降れ降れ母さんが蛇の目でお迎え・・・・・・」の歌である。
 学校帰りに母親が傘を持って迎えに来てくれることをうれしそうに待つ子供の姿が目に浮かぶ。

 大地に降る雨は、そういった日本の風景をあやどると同時に、草木や人間に掛け替えのない水をもたらす重要な役割を果たす。その仕組みがなければ人は地球上のどこにでも生活するようなことができなくなってしまう。
 そして直ぐ思うことは、この雨が必要なところに必要な分だけ降らすように調整できないかということである。
 しかし、それは不可能なことだろうし、もしそうなったときこの雨の風情というものも失ってしまうということである。